十分に嘆かれていないニーズは、自分のなかにしこりのような禍根をのこし、あとで悪さをすることがあります。
たとえば、だれかになにかをお願いしたのに、すっかり忘れられてしまった。
出かけるというのでちょっとした買い物をお願いしたのに、完全に忘れて手ぶらで帰ってきた、というようなことがありますね。
そのとき、自分の頼みを忘れられてしまった、ちょっとした手助けが必要だったのにそれが得られなかった、あるいは自分のことを大切に思われていないような気がしてしまった、そんなふうにニーズが満たされなかった悲しみや嘆きが生まれます。
ここで注意しておきたいのは、満たされなかったのは「自分のニーズ」であり、嘆きはそのニーズが満たされなかったことに向けられるのだ、ということです。
「私はちょっとした手助けが必要だったり、自分のことを気にかけてもらったり、大切にしてもらうことが必要なのに、それが満たされなかった。とっても悲しくてつらい」
ニーズが満たされなかった嘆きにきちんと向かいあい、それをしっかりと味わいます。
そのとき、自分のニーズを満たしてくれなかった相手を恨むのではなく、ただ満たされなかった自分のニーズに目を向けて嘆く、ということです。
満たされなかったニーズについてだれかに聞いてもらうのもいいでしょう。
このときも、相手への恨みつらみを聞いてもらうのではなく、満たされなかった自分のニーズとその気持ちを受けとって、ともに味わってもらうということです。
もし相手への恨みつらみに目が向いてしまっているとしたら、それは嘆きではなく「愚痴」になります。
愚痴も聞いてもらえればちょっと気分がすっきりしますが、しかし相手へのエネミーイメージは消えませんし、ときには増幅してしまうことがあります。
自分の満たされなかったニーズを十分に嘆いたら、今度は相手のニーズにも目を向けてみるといいでしょう。
ニーズは純粋なもので、満たされても満たされなくてもそれはただ自分のなかに大切なものとして存在しています。
十分に嘆かれたニーズは、純粋さを取りもどし、ふたたび満たされる機会をただうかがうだけなのです。
◎寿美ちゃんち共感おはなしカフェ@東松原(9.1)
東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さんが、共感おはなしカフェを主催してくれます。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし会です。