何度めかの参加になる方から、
「自分を守る方法として、人から攻撃されてもそのニーズを推測し、共感を向けていく、というのは頭ではわかるんだけど、どうしても怖くて身体がすくんでかたまったり、反射的に逃げようと反応してしまいます」
という悩みが出されました。
人はだれでも、自分が攻撃の対象になったとき、自分を守ろうとして逃げたり、ブロックしたり、あるいは逆に反撃に出たりします。
まずは当然の反応といえます。
そのとき、「浮き足立つ」という表現がぴったりの状態になっていないでしょうか。
文字どおり、地に足がついていないように、おろおろと無自覚に反応してしまいます。
攻撃にかぎらずどのような相手にたいしても共感してつながりを作ることを試みるには、まずこちらの足が地についている必要があります。
つまり、自分自身のニーズにつながっている必要があるということです。
いいかえれば、自己共感ができている状態です。
自己共感によって自分のニーズにつながっている人は、地に足がついている状態です。
私がよくいうたとえを使えば、自分のしっかりした土台の上に立っている状態です。
自分の島に立っているともいいます。
あるいは沈まない浮き輪につかまっているといってもいいでしょう。
どんなことが起きても、まずは自分自身につながり、自分の土台を確認し、確保してから、相手に共感を向けていく。
そうでないと、相手への共感もゆらいだ弱々しいものとなってしまい、対立や断絶を生むことになってしまう場合もあります。
というわけで、オハナでのワークは自己共感についてあれこれためしてみたんですが、とくにマインドフルネスは重要なスキルで、そのきっかけとして普通の人にとってもっとも簡単で有効なのが、呼吸の観察からはいるマインドフルネスです。
またマインドフルネスの感覚はさまざまな深度があって、かなり深くて集中したマインドフルネスはフロー感覚へとつながっていくし、もっと集中すればスポーツやゲームでいうところのゾーンへと進入していきます。
というのは余談ですが。
私をいれて7人という少人数での開催だったんですが、最後に恒例の野々宮卯妙による朗読を聴きました。
私はピアニカ演奏でそれに参加しました。
野々宮が読んだのは「あたらしい憲法の話」の一部分で、この8月最初の週にふさわしいものだったように感じました。
次回のオハナでの共感的コミュニケーションの勉強会は、10月4日(火)の夜を予定しています。