自分が書いたものを読みあげることもありますが、多くの場合は他人が書いたものを読みます。
それは小説や随筆、詩などの文学作品であったり、メッセージであったり、ときにはそのへんにあるメニューを読みあげるなどという奇抜なシチュエーションもあるかもしれません。
いずれにしても、書かれた文字を読みあげることにはちがいありません。
文字は手書きのこともあれば、印刷されたものかもしれません。
最近ではスマートフォンやタブレット端末の画面に表示された文章を読みあげることも増えているようです。
文章をおぼえてしまい、手ぶらで朗唱する人もいます。
これも広くとらえれば朗読表現のひとつといえるかもしれませんが、現代朗読ではテキストはあくまで朗読者の手のなかにあり、おぼえていようがいまいがそれを読みあげることを朗読表現であると定義しています。
では、朗読表現においてテキストはどのようにあつかえばいいのでしょうか。
ひと前で朗読する機会が生じたとき、たいていの人はまず、それを「読みまちがえないように読む」練習からはじめるでしょう。
書かれていることを一字一句あやまりなく読めるように、何度もくりかえし黙読したり音読したりします。
しかし、それだけでいいでしょうか。
表現にもちいるテキストはどのようにあつかえばいいのか。
たとえば音楽演奏家がある曲を演奏するとき、その曲をただまちがえずに弾くように練習すればいいのか。
そうではありませんね。
それとおなじように、朗読者がテキストをあつかうとき、ただまちがえずに読めるようにするだけではなく、さらにその先の世界へと進入していく必要があります。
◎朗読生活のススメ9月「表現者として生きる」編全3回(9.3/10/24)
すべての人が表現者へと進化し、人生をすばらしくするために現代朗読がお送りする、3回完結の講座です。2016年9月は「表現者として生きる」というテーマで3日/10日/24日の3回、それぞれ土曜日の午後6時半から、世田谷区立代田地区会館にて開催します。