20代のころは、逆にまわりをシャットアウトしたくて、当時はカセットテープ式のウォークマンのヘッドホンで両耳をふさいで音楽の世界に没入していたが、いまは両耳をふさぎたくない。
武術をならいはじめてからはとくに「周辺のことに気をくばる」「身を守る」ということに注意が向くようになってきた。
身を守るのは、自分の身ばかりではない。
いっしょにいる知り合いの身のときもあるし、まったく知らない人のこともあるかもしれない。
とにかく、安全を確保するために、生命を生かしきるために「武」はある。
先日、下北沢駅から井の頭線に乗ろうとホームにいたら、かなりご高齢の女性(80歳はとうに越えているようにお見受けした)がカートにつかまって乗車マークのところにやってきた。
乗車のとき、カートをいっしょに乗せるのになにか差し障りがあったらすぐにサポートしようと思って、私は彼女のすぐ後ろについた。
ベビーカーを押したお母さんがいるときも、私はそのようにする。
スマホを見ていると、そういうことに気づきにくくなるからいやなのだ。
電車がやってきて、ドアが開いたとき、別の中年の女性が右側からやってきて、おばあさんのカートを「お持ちしましょう」といって持ち、いっしょに電車に乗りこんだ。
私の出番はなかった。
しかし、私はうれしくなった。
私も高齢になり、身体が思うように使えなくなっても、この女性のような人がたくさんいてくれると思ったら、自立した外出も安心だろうと思うからだ。
実際私は膝に故障をかかえていて、遠出をするときはステッキを持っていることがあるが、さっと気持ちよく席をゆずってくれる人もいれば、後ろ暗そうに気づかないふりをしている人もいる。
どういう社会に住みたいかとリアリティをもって想像したとき、自分自身のふるまいも変わっていく。