2015年4月18日土曜日

繊細さと図太さがせめぎあう世界

いま、受託仕事(アルバイトともいう)でけっこう大量のオーディオブックの収録をおこなっている。
私は本来、文芸朗読を得意としているが、今回は文芸というよりライトな読み物の収録だ。
いろいろなタイプの読み手がやってくる。
それをディレクションしながら、収録のオペレートをおこなう。

収録は当然、長時間にわたることがほとんどで、たとえば書籍1冊300ページくらいだと、仕上がり時間が7、8時間にもなる。
1時間収録するのに、まったくまちがえずに読み、オペレーションミスもない、ということはありえず、だいたい3時間くらいのスケジュールを押さえておくことになる。
書籍一冊だと、20時間以上のスタジオワークとなる。
そして、どれだけ持久力のある読み手であっても、一日のうち6時間以上スタジオにこもりきりになって読みつづけるのは無理なので、ひとりの読み手が1日に収録できる仕上がり時間は2時間程度、ということになる。
1冊あげるのに最低3日から4日はかかる。
その間、こちらもずっとつきっきりである。

読み手の技量や持久力もさまざまで、滑舌もよく、アクセントも完璧で、リップノイズもなく、ほとんど読み間違えることなく、しかも何時間読んでもへこたれることがない、という人がいるかと思えば、滑舌はゆるいし、アクセントはまちがえるし、リップノイズは乗りまくりだし、しょっちゅう読み間違えるし、すぐに疲れてしまう、という人もいる。
さて、あなたならどちらの読み手を使いたいでしょうか?

この質問を「なにをばかなことを訊いてるんだ」と思った人は、現場のことをわかっていない人だ。
オーディオブックというのは、本になにが書かれているか、どういうストーリーなのか、というテキスト情報を伝える、という側面があると同時に、読み手が魅力的か、表現がいきいきしているか、といった表現作品の側面もある。

極端な設定だが、

 1. 非常にうまくて使い勝手はいいけれど表現がつまらない読み手
 2. 技術に問題があり使いづらいけれど表現が魅力的な読み手

というふたりがいたとき、どちらを使いたいか、という選択に迫られることがある。

経済的なことをいえば、スタジオ使用料は高いし、オペレーターもディレクターも人件費が必要なので、前者の読み手を使いたくなるのは当然だろう。
表現を犠牲にして使い勝手のよい読み手にどんどん仕事をまわしていく。
かくして魅力にとぼしいオーディオブックが大量生産されることになる。

とても繊細なのでまわりのことが気になってしまい、ディレクターにどう思われるのか、あるいはダメだしされたりしかられたりすると萎縮してしまい、本来の魅力を出しきれない読み手がある。
コミュニケーションも下手だ。
逆に、図太く、なにをいわれてもさっと対応し、そつなく仕事をこなす読み手もいる。
コミュニケーションもうまく、現場を明るい雰囲気にする。
当然のことながら、後者のほうにたくさん仕事がまわってくる。
しかし、繊細さゆえに魅力的な表現を秘めている者もいれば、図太さ(を身につけてしまった)のせいでその人本来の魅力が見えてこない者もいる。

私は、本来人というのは、すべからく繊細で傷つきやすく、優しい存在なのではないかと思っている。
図太く見える人は、自分を守るために戦略的にそのようにふるまうことを身につけてきた人なのだ。
そういう人の本来の魅力を引きだすにはどうしたらいいのだろう。

アイ文庫では当初から表現重視でやってきた。
オーディオブックはそのテキストを書いた作者のものではあるけれど、それ以上に読み手の表現作品であるととらえている。
今回は受託仕事なので、アイ文庫の方針をつらぬくことはないけれど、それでも可能なかぎり読み手の魅力を引きだそうという姿勢で収録現場にのぞんでいる。
当然、効率は悪くなる。
しかし、いいものを作りたいのだ。
ただその一点、そこから私はどうしても離れることはできない。