「この合宿が終わってもとの生活にもどっていくとき、IITでのすばらしい経験を人に伝えたくなるでしょう。でも気をつけてね。私たちがかえがえのない時間をすごしたように、残してきた人々にもおなじようにかけがえのない時間があったということを忘れないで」
と、キャサリン・シンガーがいったのが、とても強く心にひびいた。
キャサリンは実際に、 参加者が日常にもどったとき、まわりの人々にどのようにNVCやIITの経験を伝えたらいいか、という実践的なセッションもおこなっていた。
また、マリアンヌ・ゴスリンやロバート・クルズィニクも(英語ネイティブ圏出身ではないせいかもしれないが)、NVCでつかわれる独特の言葉使いについて注意を払うようにいっていて、セッションの途中でもしばしばNVC用語を使わずに共感することをいっていた。
たとえば「ニーズ」とか「authenticity(真正さ、本物であること)」といった用語だ。
また、共感するときの「あなたが◯◯◯(感情をあらわす言葉)なのは◯◯◯(ニーズをあらわす言葉)がそこなわれているからですか?」といった構文を使うことも、人々に違和感をもたらし、警戒されることもあることに注意しよう、という。
たしかに私自身を振りかえって、最初にNVCについて学んだとき、その原理や方法はすばらしいと思ったのだが、言葉使いや構文には強い違和感をおぼえた記憶がある。
日本で最初にNVCを学んだ人たちは、当時、日本語の資料がまったくなかったので、マーシャル・ローゼンバーグの著書(英文原書)などを読むしかなかった。
また、公認トレーナーが日本人にはいなかったので(これはいまでもそう)、より積極的な人は直接アメリカなど海外に行って、リーダーシップ・プログラムやIITやワークショップに参加していた。
つまり、英語ができる人たちがまず最初に学んだのだ。
この人たちにはおそらく、ネイティブ日本人には違和感の強い用語や構文が、それほどまでの違和感はなかったのではないだろうか。
日本ではまず、この人たちが英語のできないネイティブ日本人に教えた。
私が感じたのと同様、最初に強い違和感をおぼえる人も多いのではないだろうか。
実際にそれが原因で「使えねー」と思ってNVCを学ぶのをやめてしまった人がいることを、私は知っている。
数年前、私もNVCを広めることに貢献したいと思いはじめたとき、まず私がやりたいのはこの違和感をなんとか取りのぞくことだった。
そして「共感的コミュニケーション」という名称で勉強会を開きはじめ、また同タイトルの本も書いた(日本語ネイティブでNVCについて書かれた最初の本だと思う)。
多くの人が読んでくれたし、勉強会にも初心者の人が多く来てくれる。
今回のIITでも、私の本を読んだという人に何人も出会ったし、またわざわざ「著者に会えて来たかいがあった」とまでいってくれた方もいる。
しかし、まだNVCを知らない、英語ができない日本人に向けて、違和感なくNVCを伝え、また日常でも使えるようにするという私のミッションは終わっていない。
それどころか、IITを終えてますます、NVCを日本語でも「使える」ものにする作業の必要性を痛感している。
始まったばかりだ。
また、ちょっとやってみたいと思っていることがもうひとつあって、それは「ネット社会におけるテキスト(メールやSNS)での共感的コミュニケーション」の可能性についてさぐってみたい、ということだ。
NVCではテキストでの共感についてとても注意を払っている。
警戒しているといってもいいくらいだ。
トレーナーによっては、テキストでは共感できない、といいきる人もいる。
しかし、ある程度は可能性があるんじゃないかと私は思っている。
ま、これは余談である。
興味がある人がいたら、いっしょに勉強会をやってみましょう。