2014年11月6日木曜日

今日のゼミは共感的おはなし会、最終レース再スタートライン

今日は現代朗読のゼミ日だったが、朝ゼミのみの開催。
参加者がそれぞれ、最近あったこと、聞いてもらいたいことを話しはじめたら、それだけで時間がすぎていった。
こういうとき、私は共感スキルを発動させてみんなの話を聞くようにしているのだが、ゼミ生全員が共感スキルを身につけているわけではなく(本当は全員に身につけてもらいたいのだが)、話はしばしばあちらこちらに転がっていく。
それをなんとか引きとめながら、各人の大切な話をできるだけ本質的に聞き、共感しようと試みる。

朗読表現の場ではあるけれど、結局今日はだれも朗読しないまま終わった。
しかし、そのことは問題ではない。
朗読するにも、表現活動をするにも、各人が自分のニーズにしっかりとつながり、同時に安心してのびやかに表現できる場を作ることが、現代朗読協会における私の役割だ。
だれかが「みんなに聞いてもらいたい」と思っている大切な話があれば、なにをおいてもそれを全部聞かせてもらいたい。

今日は藤沢さんや矢澤ちゃんが、私に聞いてもらいたい話があり、またできればアドバイスをほしいという要望があった。
共感スキルを使って話を聞き、ふたりのニーズを教えてもらい、それにそってアドバイスをさせてもらった。
が、私にはいまだに――というより最初からずっと――自分が共感的コミュニケーションをきちんと理解できていないのではないか、あるいはそれを実践できていないのではないか、という危惧があり、そのことで自分の正当性に疑いを持ちつづけている。
実際に、私の伝え方、教えかたについて、疑問を持っている人はいるし、このことについて私が未熟であると思っている人がいる。
私の側の勝手な思いこみかもしれないが、共感的コミュニケーションのベースとなっているNVCのコアメンバーのグループには、いちおう所属していながらいまだになじめずにいる自分を感じることがある。
なじめない、というより、チーム内における自分のふるまいに信頼を持てないのだ。
今日はわずかでもゼミ生のお役に立てたかもしれないような気がしたが、居心地の悪さは残っている。

自分の正当性を確信できないうちは、私の誠実と安心のニーズを確保するために、共感的コミュニケーションを人に伝えることをやめようかなと思った。
こういう気づきというか、自分の弱さ、甘さの自覚は、遅まきながらシビアにやっていきたい。


さまざまなことをかんがえあわせて、2014年の年末に向かうこの時期、自分のニーズにきちんと向かい合い、状況を把握し、やれること、やれないこと、やりたいこと、やりたくないこと、整理すること、あらたにはじめることなど、大胆かつ繊細に選択し、再スタートのラインを設定しなおそうと決意している。