2018年12月10日月曜日

やる気が出ない/なんにもする気になれない、という人へ

ある男が、自分の進むべき方向性がわからず、コーチングを受けたと思ってくんねえ。

彼はなにかスキルを身につけたり、自分の能力を発揮できる職業に就いて、生活が安定したり社会に貢献できるようになればいいなと思っている。
つまり、ニーズははっきりしている。
が、その方法がわからない。
なにか目標を決めて勉強しようとしても、やる気が起こらない、毎日これをやると決めていざ取りかかろうとするも、なんにもする気になれずだらだらとすごしてしまう。
そのことについてあせりを感じるし、罪悪感もある。
自分がだめな人間だという失望感や、このままいくとどうなってしまうんだろう、すでに手遅れで社会から乗り遅れてしまったんじゃないかという絶望感もある。

思いあぐねて、コーチングを受けてみることにした(私の、じゃないよ)。
いろいろアドバイスを受けたのだが、もっともわかりやすいものがつぎのようなものだった。

 目的地(ゴール)を明確にする
 ゴールまでの道順を明確にする
 車(自分)のガソリンを満タンにする

車(自分)にガソリンが十分にはいっていて、目的地と道順がはっきりしていれば、たどりつくのはたやすい、という。
コーチングという手法には、それらを明確にするプロセスが用意されていて、多くの人にわかりやすく、役に立っている。
なるほど。

しかし、私はすこしちがう考えを持っている。
そもそもどうやったらガソリンを満タンにできる(やる気を出せる)?
目的地がはるかに遠くだったり、そこにいたる道順がはっきりわかっていない場合、出かける気になれるか?

私が提案したいのは、人が生きるためには——あるいは自分をいきいきと生かすためには——目的地も道順もいらない、ということだ。
ガソリンをあらかじめ満タンにする必要もない。
必要なのはただひとつ、エンジンをかけて動きだしてみること。

若い人は知らないだろうが、私が子どものころの車といえば、クランクを回してエンジンを始動させていた。
つまり、人力でシャフトを回転させて、その勢いでエンジンを始動させていたのだ。
エンストしたら(じつにしばしばあった)、何人かで車を押して、ある程度スピードが出たらクラッチをつないでエンジンを始動させたりもしていた。
押しがけというが、バイクレース(マン島TTとか)などで比較的最近まで採用されていたので、知っている人もいるかもしれない。

人間の身体もこれに似ていて、実際に動きたかったら、初動が大切なのだ。
やる気があるとかないとかいう以前に、まず動かしてみる。
身体を起こして、足を踏みだしてみる。
家から出て、外をひと回りしてみる。

どうやったらやる気が出るだろうか、とか、自分はどうしたいのだろうか、とか、目標はなんだろうか、それを達成するにはどうしたらいいだろうか、とかんがえていても、それはあくまで「かんがえ(思考)」にすぎず、動きではない。
いくらかんがえても車は動きださないし、かんがえればかんがえるほどますます動けなくなってしまう。

まずは動いてみる。
すると、ガソリンがどのくらいあるのか、もっと遠くに行きたがっているのか、どんどん動きたくなってくるのか、どちらに向かっていきたいのか、あるいはやはり休んでいたいのか、はっきりとわかる。
動いてみて、ガソリンがまったく空っぽで1メートルも走れないということはめったになく、たいていは補給できるどこかへ行くくらいの燃料は残っている。
それもなければ、だれかにヘルプを出して、ガソリン補給を手伝ってもらうこともできる(私のようなサポートできる者に依頼する)。

動く、というのは、ほんとに物理的に動くことで、身体を動かしてみる、部屋を片付けてみる、掃除してみる、そういうことでもいい。
できれば靴をはいて、玄関から一歩外に出てみるのがいい。

そのときに重要なのが、「かんがえ」からできるだけ離れることだ。
方法としては「かんがえ」の代わりに「観察」をすることだ。
自分自身を観察する。
動いてみたとき、どんな感じがするのか、歩いて動いている自分の手足はどうなっている?
呼吸は? 姿勢は?
どこかに痛みはある? 不具合は感じる? 順調さはある?

観察したら、できればそのことを言語化して、ノートなどに書きつけてみるとさらによい。
思考から観察へ。
これを習慣化する。

自分という車が動きだしたときはじめて、自分自身が実体化し、なにが必要なのか、どこへ行きたいのか、どこまで行けそうなのか、はっきりするだろう。