その前身である朗読研究会から数えると、約15年がたっています。
私の誇りは、この団体が完全にインディペンデントであり、現代朗読という手法を他のどの朗読団体の影響も受けずに進化/深化してきて、ここにいたっている、ということです。
数多くの実験と実践をかさねてきて、ほかのどの朗読団体にもない方法論を確立し、それはまだ進みつづけています。
しかし、反省もあります。
私は前を向きすぎているかもしれない、ということです。
初期・中期のころに現代朗読に参加した人たちは、その深化の過程をともに経験し、現在ここにいたっていることを体感したり理解しています。
しかし、いま参加する人は、過程も知らないし、方法論についてもあまりにも他の朗読団体とはかけはなれているために理解しづらいかもしれません。
私はそのことをすこし見なさすぎたのではないか、と気づいています。
発足当時がそうであったように、いま一度、間口を広くとって、だれもがまずは参加しやすい、敷居の低い団体にしてみようと思っています。
ただし、その方法は、やはり現代朗読の思想にのっとったものでなければおもしろくありません。
現代朗読の手法にのっとってはいるけれど、敷居が低く、間口が広い。
本来、朗読というものはそういうものなのです。
だれでもすぐに始められる表現であり、自由で楽しいものなのです。
そしてそれは奥行きがあり、その気になればどんどん深いところへ進入できる。
なかにはその気にならない人もいるでしょう。
自分は気楽に本を音読したり、子どもに読みきかせているだけでも楽しいのだ、という人もいるでしょう。
そういう人にも、最低限の現代朗読の考え方を理解してもらい、朗読表現の楽しさと可能性を保持した上で、そのような気楽なアプローチをしてもらいたい。
現代朗読には非常に気軽な地平からとても先鋭的なピークまでのグラデーションがあります。
そのことをもうすこし丁寧に発信していったり、とても気楽に参加できる機会を増やしていけたらいいかな、と思っています。
◎四茶げろきょオープンマイク、ふたたび(5.24)
あらゆる“評価”から解放される表現の場である現代朗読協会の「朗読オープンマイク」が、ひさしぶりに帰ってきました。5月24日(火)夜、三軒茶屋のライブカフェ〈四軒茶屋〉にて開催。