先日も飛行機のなかで、隣席にいた女の子(もうすぐ2歳だという)に窓の外を見せてあげようと私の膝の上に抱っこしていたら、安心しきって眠りそうになっているのを見たとき、本当に幸せな気分でした。
初めて会った子で、お母さんはとても遠慮したり恐縮していましたが。
長年の付き合いがある知り合いの場合、その子どもが小さなときからだんだん成長して大きくなっていき、思春期をすぎ、大人になるまでをずっと見ていることもあります。
小さいころは遠慮なくだっこしたりおんぶしたり、いっしょに遊んだりしていたのが、だんだん遠慮がちになり、思春期になるときゅうに疎遠になったり、こちらを遠ざけるようなそぶりが見えたりすると、悲しくなります。
それが女の子だったりすると、こちらにも遠慮が生まれます。
かつてはだっこしたり、手をつないだり、いっしょに遊んだりしたのに、それが素直にできなくなってなんとなく気持ちがわだかまります。
しかし、大人になった彼女と、私はいまだにただ遊びたいだけなんだ、ということに、先日あるワークを通して気づきました。
ただ子どものときのようにいっしょに遊びたいだけなのに、彼女はもう大人なんだ、女性なんだ、彼氏だっているんだ、世間体がある、などと社会的思考がはいりこみ、私の行動を居すくませていることに気づいたのです。
そのことに気づいたことがきっかけで、ほかのいろいろなことにも気づきました。
私がだれかとつながりを持ちたい、と思ったとき、それはただその相手と遊びたいだけであることが多い、ということ。
遊びというのは純粋な自分への貢献です。
まただれかと遊ぶというのは、祝祭をともにするということでもあるでしょう。
そこには見返りの期待もありませんし、自分への妥協もありません。
思えば私がピアノを弾きはじめたとき、小説を書きはじめたとき、いずれも純粋な遊びとしてだったのです。
ピアノを弾いて人を驚かせてやろうとか、自慢してやろうとか、小説でお金を稼ごうとか、尊敬を得ようとか、そんなことはみじんもかんがえずにはじめたことです。
それはたしかなことです。
それがいつしか、そうでなくなり、純粋さにまざりけが生じ、楽しくなくなっていった――つまり遊びでなくなってしまったそのとき、私は私自身とのつながりをうしなってしまったのです。
自分自身ではなく、社会とか、制度とか、経済システムとか、なにかそういうものとつながろうとしてしまったのです。
それは全然楽しいことではありませんでした。
私はそのとき、自分の人生をうしなってしまったのです。
平安時代末期に後白河法皇が編んだ『梁塵秘抄』の有名な一節です。
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
これは遊んでいる子どもの姿を見て心を打たれたことを歌ったとされていますが、私にはそうではなくも、大人になった自分自身も本来は遊びをせんがために生まれてきたのだったことに気づいて気持ちが動くことを歌ったのではないか、と思っています。
私がピアノを弾くのは、小説を書くのは、遊びで釣りに行くようなものです。
それは利益のためではありません。
純粋に自分の楽しみのためです。
釣れるかどうかはわかりません。
しかし、自分なりに工夫をこらし、想像力を働かせ、よい型の獲物をねらいます。
だれかに評価されたいからではなく、ただただ自分の満足のために釣り糸を垂らすのです。
私がピアノをひと前で弾くとき、小説を書いて発表するとき、それはいわば釣りにだれかを誘っているようなものです。
いっしょに釣らない?
なにが釣れるかわかんないけど、そもそも釣れるかどうかわかんないけど、楽しいよ、釣りを試みるということそのものがね。
釣れたらいっしょにお祝いしよう。
釣れなくてもいっしょにこうやって糸をたらしているだけでもわくわくしない?
もちろん、自分ひとりで釣っていても楽しいのです。
遊びなので、そこには妥協も打算もありません。
ただ全身全霊を打ちこんで楽しんでいるだけなのです。
結果として、だれかの役にたったり、喜んでくれたり、つながりが生まれるかもしれません。
もちろんそうなれば、それはそれでお祝いです。
しかし、釣りの過程そのものが私にとっては祝祭なのです。
自分の人生を祝祭として生きる。
こんなシンプルなことにたどりつくのに、なんて長いまわり道をしてしまったんだろう。
いや、いま気づいていることをお祝いしましょう。
◎「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前キッドギャラリー(6.18)
ともに深く、ことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわうこと。ご来場いただいたみなさんにある種の「体験」を提供する試みです。14時からと18時からの2回公演。