スペースのつごうで定員8名と決めてあって(講師と主催者含む)、今回は定員いっぱいの開催となった。
なぜか最近、北杜市近隣に仕事で引っ越した人や、隣の長野県原村に住んでいるかたが引きよせられるように来られて、すこし前までほとんど縁を感じなかった土地なのにと、不思議な感じがした。
また、以前からの知り合いで奈良に引っ越して住んでいるゆきえさんが、遠来はるばる参加してくれたのもうれしかった。
東京組は私と野々宮、ゼミ生の勝木雪子が参加した。
お盆休みの渋滞を予測して国立を午前9時すぎに車で出発した。
案の定、八王子から上野原のあたりまで、のろのろ運転の渋滞だったのだが、それは予想どおりで、双葉のサービスエリアで昼食をとったり、北杜市のインノという最近評判のパン屋に寄る時間もあって、開始時間の13時前にはちゃんと到着できた。
なにしろ遭難しそうなほど難解な道順なので、遅刻する人が出たりしたが、まずは欠員なく無事に開催できた。
表現とはなにか、表現行為としての朗読とはなにか、自分自身を表現するとはどういうことなのか、変化しつづける現象としての自分に注目するとはどういうことなのか、自分の本来性と社会性を切りわける必要性とはなんなのか、集中するとはどういうことなのか、自分の全体が発声・朗読という身体運動に参加するときどんな感じがするのか。
そんなことを検証するワークを順次おこなっていく。
最終的には自分自身の変化や生命現象に目を向け、そこから発生してくるものを邪魔しないでありのままに表現できるか、お互いにそれを受け取りあうことができるか、そしてみんなでつながりをもったままグループ表現をできるかどうか。
私も朗読に参加したし、最後にはピアノ演奏(北斗の山荘にはピアノがある)で参加したりもした。
このままステージにあげて発表したいような作品になったように思った。
途中、大量のスイカをいただいたり、お茶を飲んだり、桂さんの心使いで楽しくすごさせていただいたり、終了後は個別に武術的な稽古の確認をしたり、共感的に話を聞いたりもできた。
個人山荘のなかで、とても不思議な空間と個性豊かな人たちの集まりが実現している。またお互いに共感的に受け取りあい、攻撃されたり評価されたり、受け入れられいということがない場所にもなっている。
個人的な悩みやプライベートの問題がある人は遠慮せず話すことができるし、それにたいして分析や評価、アドバイスを受けるとはない。
このイベント、来月も開催することが決まっていて、日程は9月17日(月/敬老の日)にほぼ決定。
定員少数なので、興味がある方は早めにお申込みください。
◎9月17日:共感朗読カフェ(Verba Actus)@山梨県北杜市
Verba Actus とは、共感的コミュニケーションをベースに表現行為を自分自身のなかで統合し、全体性を探求する場です。稽古は朗読する、声を発する、声と身体のつながりを見る、などが中心となります。