夢想してみましょう。
ベーシックインカム(基本的な生活保障としての収入が保障されている)が実現されたとき、私はどんな生活を送るでしょうね、という夢想です。
ベーシックインカムという考え方はかなり前からあって、人々の利益の再配分が適切におこなわれたら、すべての人に対して生活に必要な基本的な収入が確保できる、という仕組みです。
国民全員が生活保護を受けている状態、といえば想像できるでしょうか。
生活保護ということばには否定的なイメージがつきまといますが、生活保障といってもいいでしょうか。
たとえば電気代が払えなくてこごえ死ぬ、というような人はいなくなるわけです。
食べ物が買えなくて飢え死にする、という人もいなくなります。
すべての人が、その人の状態に左右されず、生存し生活していくのに必要な額を支給されます。
その人の状態、というのは、たとえば子どもであっても老人であっても、障害を持っていても健康であっても病気であっても、どんな仕事をしていても、どんなところに住んでいても、ということです。
じつはほとんどの先進国にはすでにその財源は十分にある、という試算があります。
あるいは資産の再分配が効率的におこなわれる社会になれば、発展途上国でもベーシックインカム制度が実現できる、という説もあります。
さて、ベーシックインカムを支給されるようになって、食べるために、あるいは生活するためにお金を稼ぐ必要がなくなったら、私はどうするでしょうか。
家賃も食費も、年金や健康保険料も、ガス代も電気代も水道代も電話代も、すべてベーシックインカムでまかなえるので、そのために稼ぐ必要はなくなります。
なにか収入があったときには、それを全部自分の好きなことに使えるのです。
旅行でもいいし、コンサートに行くのでもいいし、なにか買い物するのでもいいでしょう。
なんに使ってもだれからもとがめられず、ましてや自分自身がうしろめたく思う必要もありません。
もちろんなんにもせずに、毎日遊んで暮らしてもいいのです。
それでも生活には困りません。
それがベーシックインカムです。
私の場合、もし生活補償が完全にあるなら、まず、自分がやっているライブやコンサートをすべて無料にしたいですね。
自分が書いたもの、作った音楽などのコンテンツも、すべて無料です(これはいまでも近い感じでやってますが)。
講座とか勉強会もかぎりなく参加しやすくしたいな。
学びたいのに、あるいは参加したいのに、経済的理由でためらっている人も多いと思います。
そういった人たちの経済的障壁をまずなくしたい。
あとは時間的、距離的障壁がありますが、それは個々の問題ですし、私にもその問題は残ります。
なんて書くと、いかにも社会貢献のためにかっこつけてるように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではありません。
私はただ、好きなようにものを書きたいし、伝えたいし、演奏したいし、挑戦したいだけなんです。
売ってお金にする必要がなければ、むずかしくて書けなかったような、ひょっとしてだれも読んでくれないかもしれないような小説にも挑戦してみたくなります。
お客さんを集める必要がなければ、だれも聴いてくれないかもしれない難解で前衛的なパフォーマンスにも挑戦してみたくなります。
そんな世界、来ないかなあ。
私が生きているうちに実現すればいいのに。