2017年1月18日水曜日

譜読み(譜面の読み方)がいまさら変わる

去年の終わりごろから、クラシックピアニスト(というより現代音楽ピアニスト)の中村和枝さんに、いまさらですがピアノを習っています。
ピアニストの私がピアノを習う、なんていうと変な感じかもしれませんが、ピアノ演奏について私にはごっそり欠落している部分があります。
それは「譜読み」であり、「譜面に書かれた曲を演奏する」ことです。

子どものころ、ピアノ教室に通っていたことがあって、楽譜は普通に読めますし、むしろ初見なども得意なほうですが、和枝先生から習う譜読みとその演奏はまったくちがいます。
毎回、おそろしく深遠な世界を垣間見たり、またそこへ突き落とされるような感じです。
いや、わるい意味ではなく、もちろん暴力的な意味でもなく、つまり私にとっては冒険のようなスリリングな世界がそこにある、ということです。

譜面は普通に読めるし、音楽を構造的に解釈し理解することもできると自分では思っていましたが、まったく層のちがう世界がそこにあることに気づかされます。
クラシック演奏家の頂点の世界を見させてもらっています。

課題曲としてモーツアルトの「きらきら星演奏曲」とか、バッハのインベンションをやっているんですが、もちろん弾くだけなら簡単な曲です。
楽譜どおりに書かれているとおりに、間違えずに弾けるようになるだけなら、小学生でもできるでしょう。
しかし、和枝先生には「音楽として」弾くことを要求されます。
モーツアルトやバッハが魂(命)の発露として表現しようとした世界を、私も見ることを要求されます。
その上で、私自身の魂がそれをどのように表現したいのか、ようやくそこにたどりつくわけです。
まだまったくその入口にしか達していません。

おそろしくむずかしく、遠い道のりですが、やりがいがあるし、わくわくする道程です。
自分の命の限度内にある程度のところまで行けるのかどうかすらわからないけれど、この挑戦は楽しいのです。

クラシック音楽だけでなく、私がやっている即興演奏の世界にも、そして朗読や文学や身体表現の世界にも、深いレイヤーがあって、そこに気づいたり進入していくことがどれだけ苦しくも楽しいことなのか、すこしでも知ってもらえると私はうれしいし、なにより理解しあえる仲間がいると心強いですね。
あらゆる表現や仕事、そして生活や生き方についての話ですよ。

水城ゆうの音楽レッスン
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