2017年1月15日日曜日

「書く」という行為で自分と深くつながる

年末の「自分とつながるテキストライティング」講座で、参加者のみなさんに投げかけてみた質問があります。
「小説家とライターのちがいはなんでしょう」

ライターというのは、雑誌やネットの記事やコラム、商品や店などの紹介や対談をまとめたりして、お金をいただく仕事をしている人のことです。
つまり、文章を書くという仕事の対価を生活の糧にしている人です。

そういう意味では職業小説家も、文章を書いて原稿料や印税収入を生活の糧にしているわけで、似ているといえるでしょう。
しかし、この二者には決定的にちがっていることがひとつあります。

ライターは仕事の依頼があって初めて、文章を書きます。
依頼もないのに、あるいは収益が発生する見込みもないのに、文章を書いたりしません。
しかし、小説家はちがいます。
仕事の依頼があろうがなかろうが、とにかく書きたいのです。

なかには依頼がないと書かない、という職業小説家もいるかもしれません。
しかし、彼とて最初はだれにも頼まれていないのに、小説を書きはじめたのです。
つまり、小説を書きたいから、あるいはやむにやまれぬ表現衝動に突き動かされて、小説を書きはじめるのです。
それが小説家です。

収益を目的とせずに、あるいはなんらかの見返りを設定せずに、自分自身を表現するために文章を書くためには、まず自分自身を注意深くさぐる必要があります。
自分はなにを書きたいのか。
自分のなかからどんなお話が、どんな風景が、どんなことばが出てくるのか。
自分はどんなことばをつかって自分のことを人に伝えたいと思っているのか。

経験や記憶や、それによって形成された性格が、その人の個性だと思っている人がいます。
というより、むしろ大多数の方がそう思っているのではないでしょうか。
社会的にもそのように規定されているように思います。
しかし、テキスト表現においてその規定は役に立ちません。
経験や記憶や性格は、後天的に、社会的に作り上げられてきたもので、厳密には書き手のオリジナリティを担保するものではないのです。

では、書き手のオリジナリティ――つまりその人がそこに生き生きと存在しているユニークさそのもの――はどのように表現されるのでしょうか。

私がおこなっている「自分とつながるテキストライティング」のワークショップは、そこに向かってさまざまな試みをおこなってみます。
ワークショップで私はいくつかのワークの提示をします。
それははっきりいって、直感と思いつきによって生まれたものです。
手探りです。
それがうまくいったり、うまくいかなかったりしますが、どちらにしてもさまざまな気づきが生まれます。
提案されたワークが機能するかしないかより、それによって参加者がみずから気づくことが大切なのです。
そのためのワークの方向性――すなわち書き手のオリジナリティを表現する――だけはあやまらないように、私は厳密に注意を払っています。

と、いろいろ小難しいことを述べましたが、実際に参加していただければわかるように、とにかく楽しいのです。
書くという、小学校以来の原初的な表現行為。
この楽しさと可能性を再発見してほしいのです。

ことば=テキストという、非常に限定された世界のなかで、いかに自分に向かいあい、つながり、発見できるか。
なにも全員が小説家になりなさいといっているわけではありません。
ことばで自分を表現することの不自由さと可能性に向かいあったとき、この現代という時代においてそれが意外に役立つということを、きっとわかってもらえるだろうと思っています。

自分とつながるテキストライティングWS(2.18)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを2月18日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。