NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)をベースにした共感的コミュニケーションを人に伝えるとき、私にはいくつかこうしたいという望みというか、心がけていることがある。
そのうちのひとつに、NVCの用語やいいまわしをなるべく使わないでそのエッセンスを伝えたい、というものがある。
なぜなら、NVC特有の言葉使いや文法に拒否感をおぼえる人がすくなからずいて、その先にある共感エッセンスにたどりつかないままあきらめてしまうのを見るととても残念な気持ちになるからだ。
私にも心当たりがあって、何度も挫折しかかった。
さいわいなことに辛抱強い友人(安納献)がいたおかげでなんとかあきらめずにすんだ。
しかし、だれもが辛抱強い友人を持っているとはかぎらない。
現在、羽根木の家に滞在している国際公認トレーナーのホルヘ・ルビオのワークショップで、印象的なことばを彼から聞いた。
「自分はカジュアルで粗野で、乱暴な言葉で話そうとしている」
というものだ。
その理由として、NVCを必要以上にスピリチュアルすぎるように取られたくない、といっていたが、それだけではないことはあきらかだ。
ともすればNVCを学ぶ人たちや学びの場にはびこることがある「ある種スノッブな空気」を彼は注意深く排除しようとしている。
私はとてもとても深く彼に共感する。
共感的コミュニケーションを必要としているのは、現時点でいままさに暴力にさらされている人たちだ。
彼らはNVCのことも知らない、共感も知らない。
だれかと話すときには「攻撃的に決めつける」「相手より上に立つ」「批判する」「競いあう」「弱みを見せない」「嘘を見抜き突っこむ」「ボケる」そんな方法でしか人とつながることを知らない人たちだ。
銃弾が飛びかう戦場で、弾をよけるすべも知らないまま突っ立っているようなものだ。
あるいは自分が手にしている貧弱な武器で相手に立ちむかおうとしているようなものだ。
彼らに共感をとどけ、共感的世界に連れもどすには、まずは彼らになじみのある粗野で暴力的な言葉で語りかける必要がある。
そうでなければこちらに目を向けてくれない。
「あなたが……されたとき、……な気持ちになったんですね? それはもしかして、あなたにとって……が大切だからでしょうか?」
というのが共感的コミュニーショん(NVC)の基本文法だが、それを、
「おまえには○○が必要なんじゃねえの?」
と、泥玉をぶつけるようにして聞いてみる。
最大の好奇心のエネルギーをもって。
◎親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(1.22)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を1月22日(金)夜におこないます。