いやー、大変だった。
韓氏意拳をやりはじめてやがて2年がたとうとしているが、この武術の特徴として、ただ専念して自分に徹する、というものがある。
よくできた練習体系があって、それにそって初心者も熟練者も稽古をやるのだが、初心者は初心者なりに、熟練者は熟練者なりに自分と向かいあう稽古をする。
最初のころは自分と向かいあうといってもなにがなんだかわからず、ただ両手を上にあげるだけの「挙式」という仕草ですら困惑する。
むやみに手をあげても、指導者から制される。
しかし、いわれるままに自分の身体に注目することを試みていると、あるとき「それでよい」と指導者からオーケーを出される。
自分ではなにがよいのか、まるでわからない。
そんなことを繰り返していくうちに、練習の内容はしだいに深くなっていく。
すこしずつ自分がなにをやっているのか、どちらを向いているのかがわかってくる。
しかし、指導者に手をそえられると、あいかわらずダメだしと、よくわからないオーケーの連続だ。
それはそうで、指導者は参加者の進捗度合いに応じて、要求のレベルを変化させているのだ。
要求はどんどん高く(深く)なっていく。
韓氏意拳の稽古には終わりがないといわれている。
他の武術のように級や段位認定もないし、組手もない。
ただひたすら、自分に精度を問うていくしかない。
昨日は内田秀樹先生に指導を受けたのだが、内田先生はそう意識しておられたかどうかわからないが、私にとってはなにかいきなり注目・集注の深まりを要求され、それに必死についていこうとしていた。
ひとつの「式」が終わるたびに、汗が吹きだし、ドッと疲れた。
自分でもかつてない集注だったような気がしたし、いままで見えてこなかった自分の身体が見えたような気もした。
終わって帰路についたとき、駅の階段で膝の力が抜けてあやうく転びそうになったほどだ。
おもしろかった。
そして、見たこともない自分の身体が見えたことで、これからの稽古が楽しみになった。
※内田秀樹準教練による韓氏意拳の体験&初級講習会@羽根木の家は、2月14日の開催です。詳細はこちら。