2011年9月7日水曜日

次世代作家養成塾:習作&講評「バイオリン」三木 義一

文章を書くという行為は「言語活動」であり、「論理思考」がどうしてもつきまとうため、脳みその表面の部分ばかり使ってしまいます。大脳皮質とか前頭葉といった部分ですね。なので、文章は観念的なものになってしまいがちです。
なにかストーリーを書こうとしても、描写ではなくあらすじになりがちなのも、そのような傾向が脳みそにあるからです。
描写は眼で見たもの、耳で聞こえたもの、身体で感じたものを文字化するのです。が、あらすじや説明は観念的なものです。脳でいったん処理された情報です。
また、文章自体もとかく、観念的な言葉を使ってしまいがちです。

三木義一も、観念的な言葉や文章が多い人でした。というより、観念的な文章を書かせたらピカイチ、くらいなものでした。思想や哲学を語るには最適な文章ですが、小説やエッセイや自己表現の文章としては最悪な文章です。
もちろん、観念的な文章を好む読者はいるし、それが絶対にだめといっているわけではありませんが、観念的な文章しか書けないのでは問題があります。
三木義一は体言止めを多様した、詩のような文章を書くことが多かったのですが、観念的な文体から抜けだすために、ある秘策をさずけました。その結果が、この作品です。
現時点で彼の最高傑作だと私は思っています。
観念から抜けたとき、そこには三木義一の身体性がみごとに現れてきました。この作品を読むとき、読者はそこに三木義一自身の存在を感じることでしょう。

(以下、講評つづきと作品本体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

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