2010年12月6日月曜日

パフォーマーが失敗したとき

ステージやライブなどパフォーマンスをやっていると、いくらリハーサルや訓練を積んでいても思いがけず失敗してしまうことがある。音楽や演劇、ダンス、朗読といったリアルタイムなパフォーマンスにおいては、よくあることだ。
それについて考えてみたい。

失敗すると私はかつて、よく「へこんで」いた。また一緒に演じた仲間たちに申し訳なく「すみません」とあやまっていた。
最近はそういうことはないし、しない。表現する者にとってこれらの反応はまったくなんの利益もないからだ。
ではステージやライブなど現場で失敗してしまい、へこみそうになったときはどうするか。
そういうときは、まず「自分を悼む」のだ。
失敗しようとして失敗する人はいない。どんな人も、失敗したくなかったのに失敗してしまうのだ。
意に反して失敗してしまい、悔しさや悲しみを覚えている自分をまず認め、いたわってやる。これをNVCでは「self empathy」と呼ぶ。
次にするのは、なぜ失敗したのか、ではなくて、なぜ失敗したくなかったのか、を考える。

順番が大切だ。
まずは現場における自分のニーズを確認すること。なんのために現場に立ったのか。
私が表現行為をするのは「人に自分を誇示する」ためでもなく「自分が人より優位に立つ」ためでもない。昔はそういうときもあったが、そこには満足も幸福もなかった。
また、表現行為をするのは「自分を売って金銭的対価を得る」ためでもない。なんのためにやっているかというと、人とつながりを深めるため。表現することで、つながりの質をたかめ、自分を理解してもらい、また人を理解するために表現行為をやっている。

失敗したことによってそのことの質がそこなわれた(=ニーズの欠如)と感じたから、悔しさや悲しみを覚えたのだ、ということを確認する。そうすることで、「へこむ」のではなく、次にむかってなにをすればいいのか、自分の現時点での行動と動機が決まってくる。
共演者にあやまる必要もない。もし共演者がそのような価値観を共有しているなら(そういう人としか共演したくないともいえるが)、共演者は私が失敗しようとして失敗したわけではないことをよくわかっているし、そのことに対して共感的に思いやりを持っている。
私がおこなうのは、共演者(と私自身)と失敗したことの「事実」を認識し、私とみんなのニーズを確認し、どのようにしたいのか、すればいいのかを話し合う。それだけだ。
この考え方はNVC(非暴力コミュニケション)とZENから影響を受けている。