農耕文明が生まれ、富の囲い込みと蓄積が始まったとき、力のある者が暴力で国家を建設し、略奪と紛争と戦争にいろどられた人類の歴史がいまにいたるまで続いている。
男たちが作った歴史であるといっていい。
ヒト・オスという性はもともと、狩猟の性質であり、そのために女性より体格も大きく筋肉質にできている。その競争的・争乱的な性質を持ったまま富の蓄積や経済システムや国家建築をおこなえば、社会は暴力性に満ちたものになることは自明と思える。
現代消費社会も環境破壊も究極に達し、民族紛争も絶えない。民主主義という皮をかぶった議会を見れば、議員はののしりあい、批判し合い、共感的な発展はなにもない。このような事態にもっとも心を痛めているのは、育みの性である女性たちであろう。
女性たちの社会進出は確かに求められているし、実際に活躍する女性が増えているのは事実だろう。が、男性が作ったこの暴力構造の社会では、女性もやはり暴力的にふるまうことを要求される。また男性顔負けのやり手女性が活躍していることも事実だ。
そうではないのだ。
社会構造そのものを女性的なものにすること。共感的で育みの喜びに満ち、穏やかで、非消費的・循環的・贈与的、自然環境とも調和的である社会は、女性にしか作れない。
そのためにはどうすればいいか。
ただちに男性たちが現場から引退することがよろしいだろう。
自分の話をするが、現代朗読協会は女性が多い。ほとんど女性ばかりといっていいほどだ。私のほかに、二、三人、いないことはないが、極めて控えめなふるまいを心がけていて、表に立つことはない。
女性たちに任せた結果、ここは大変おだやかで、居心地のいい場所となった。
非暴力であり、効率や報酬を求めない贈与的な運営であり、クオリティの高いつながりをもってコミュニケートしたり表現しあったりしている。何度も書いているが、本当に奇跡のような場所になっている。これも女性が中心となって活動しているおかげだ。
私の決意は決して彼女たちの邪魔をしないこと。できることがあれば徹底的に彼女たちをサポートすること。彼女たちのこの居場所をなんとしても死守すること。
男は表舞台から引退するが、隠居するわけではない。女性のサポートに回るのだ。
彼女たちが気持ちよく活躍できるように、男は掃除をしよう。料理をしよう。子どもを預かろう。雑用をこなそう。
場合によってはお金を稼いでくる必要もあるかもしれない。お金は重要だが、プライオリティではない。最優先すべきは女性たちの活躍の場を整えることだ。
まずは現代朗読協会のような小さなコミュニティから始めて、こういう場がたくさんできてくれば、間違いなく社会は変わるだろう。だれもが希望のもてる社会が見えてくるだろう。