20歳前後にジャズという即興音楽にのめりこんで以来、ジャンルにとらわれず即興系の音楽に取りくんできた。一種の異種格闘技のような経験を積んできた。私のポジションはピアノ、ときにシンセサイザーなどのキーボードだったが、相手はいろいろだった。
もちろん多種多様な楽器と格闘してきた。サックスやドラムスなど、普通のジャズ楽器などはもちろんのこと、尺八や篠笛などの邦楽器、馬頭琴、ビリンバウ、二胡などの民族楽器、そして楽器ですらないものとの格闘もたくさん経験した。演劇、現代美術、写真、そして最近はもっぱら朗読。
朗読は音楽と同様、音声表現なので、ほぼ音楽的感覚としておなじ土俵に立つことができる。私にとってはまったく違和感はない。いつも楽しくやらせてもらっている。
が、音声表現でないものも魅力的だ。
「特殊相対性の女」ではスライドで映写された写真を見ながら演奏するということをやった。写真はに風景や人物のほかに、美術作品も多く含まれていた。
そして私が一度やってみたいと思っていたのが、ダンスとの共演だった。
昨夜、現代朗読協会のアレクサンダーテクニーク講座に、参加者のひとりが知り合いのダンサーを連れてきてくれた。
ミナル(Minalu)というアースダンスの方で、即興でも踊るという。
講座が終わってから、ピアノとダンスで会話してみたいとお願いしてみた。
ミナルさんは快く承知してくれて、羽根木の家の座敷で踊りはじめてくれた。私はミナルさんの動きを見ながら、ピアノを弾いた。音声に反応するのではなく、人の身体の動きや身体に反応して音を出す。一度やってみたかったことだが、これはなかなか楽しい会話だった。
地面や空と交流するような、過去と現在をつなぐようなミナルさんのゆったりとした、どこかなつかしいおだやかな動きに触発されて、私もピアノを弾いた。
動きは時に止まるかのようにゆっくりになるかと思えば、大きな強く動く時もある。
それに反応して音で返していくのは楽しかった。ミナルさんもまた私の音に反応して動いてくれていた。
言葉による意味をたどる会話ではないけれど、異質なもの(人)が共感する時間と場所が生まれたように感じた。ほんの短い会話だったが、深い感触が残った。
初めての踊りとの音楽会話だった。できればもっとやってみたい。もっと長い会話もやってみたい。ダンス、朗読、音楽、という組み合わせもおもしろいだろう。
ただし相手は「会話」ができる人に限る。