2020年1月29日水曜日

契約ではなく信任

朗読ゼミやひよめき塾など、私が主宰するゼミ(水城ゼミ)では、私の活動の持続性を確保するために、参加者のみなさんに月額制で参加費をお願いしている。
基本的にドネーション制で、ご自分の経済状況やその他事情におうじて都合のいい額をお願いしている(基準額はある)。

こういうことを長年やってきていて、ようやくみなさんには理念を理解してもらったと感じているが、それでも時々、どうしても理解してもらえない人があらわれる。

私にお金を払う。
それにたいして私がなにかを提供する。
朗読の演出やテキスト表現についての私からのアドバイスにたいして「対価」としてお金を払うというかんがえかたからどうしても抜けられない人がいる。

払った分だけなにかサービスや学びを提供してもらう。
お金を払ったんだから、それに見合った分のなにかをいただきたい。
これは市場経済の理屈である。
契約のかんがえかただ。
私はゼミに経済原理を持ちこんではいない。

私とゼミ生のあいだにあるのは、契約ではなく、あえていえば「信任」だろうか。
「対価」としてはまったく見合わないときもあるかもしれないし、また逆に対価としては計り知れない貴重な時間がおとずれることもあるかもしれない。
この学びと表現の場を作りあっている仲間として、私はゼミ生を信頼しているし、ゼミ生にも私を信頼してもらいたい。

契約関係ではなく信任関係としてのつながりを、私のゼミでは大切にしている。