2020年1月18日土曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(24))

風邪が抜けて、咳も多少の空咳を残してほとんどなくなった。
ほぼ2か月以上、ほとんど運動らしい運動ができなかった状態から、ようやくすこしずつ運動できるようになってきた。
変な息切れもなく——もちろん運動すれば息は切れるのだが——身体に負荷をかけられるようになった。

ひさしぶりに武術(韓氏意拳)の稽古で蹲起(ドンチー)という形体訓練を参加者といっしょに100回、断続的にではあるがやってみた。
チャイニーズスクワットとも呼ばれている、スクワットに似た動きだ(実際には違う)。
案外苦しくなくできてしまったが、翌日が大変だった。
しっかり足腰に効いてきて、立ち座りや階段の上り降りが大変だった。

負荷のかかる運動で身体に影響がのこるというのは、悪い感じじゃない。
身体の正常な反応だ。
ガンというある種異常なものを抱えているなかで、正常反応を見ることができるというのは、悪くない感じがある。

また運動ができなくなるような事態におちいらないように生活に気をつけて、武術の稽古や運動や歩くことを心がけていくことにする。
やれるところまでやってみる。

■テキストコンテンツから音声コンテンツ、ラジオ番組製作へ

私にコンタクトしてきたのは東京のある特殊印刷の会社の若い社長で、印刷会社のほかにネットサービス系の子会社を稼働させていた。
その会社で私のテキストコンテンツの配信を、商業的な仕組みとともにやってみようということになった。
メールマガジンに広告を掲載し、それを読者に直接届けようというのだ。

いまでこそめずらしくないが、当時はまだあまりそういうことをやっているサービスはなかった。
とくにケータイコンテンツでは皆無にひとしかった。

その事業に可能性をおぼえた私は、福井から東京に仕事場を移すことにして、2000年だったと思うが世田谷区にワンルームの部屋を借りた。
東京に住むのは初めてのことだった。

企画が進むなかで、ケータイコンテンツ配信のための会社を独自に立ちあげることになって、アイ文庫有限会社が作られた。
しかし、会社もでき、仕事場も東京に移したというのに、この事業はたちまち行き詰まることになった。
ケータイコンテンツが爆発的に普及していくのと比例して、コンテンツに埋めこまれる商業広告が嫌われるようになっていったのだ。
ケータイ事業は独自広告から、公式サイトでの課金方式へと急速にシフトしていった。

かなり混乱した経緯のなか、アイ文庫はなんとか事業をつづけるべく、テキストコンテンツから音声コンテンツへと製作体制が変化していった。

1995年の阪神淡路大震災を機に全国にたくさん設立された第三セクター方式のコミュニティFMがあり、そこでの番組製作の声がかかった。
フリーアナウンサーの高橋恵子さんがメインキャスターとなって、完パケ方式の番組作りをすることになったのだ。

最初は世田谷FMで番組を作り、それを数局の地方局に配信するという方式だった。
収録も世田谷FMのスタジオを借り、トークと音楽をMDに録音し、それを持ちかえってパソコンでジングルやCMを入れたり、音量や時間調整をして番組に仕上げ、ふたたびMDに書きだして局にもどす、という製作方式だった。
その過程で録音機材など、収録や番組製作に必要な機材をすこしずつそろえていった。

最初は私が借りたワンルームマンションの一室で、やがて一軒家を借りてその一室で、とてもスタジオともいえないような劣悪な音響環境のなかで番組製作をはじめたのだが、それがなかなか楽しかったのだ。
そしてなにより楽しかったのは、若いナレーターや声優の卵たちに集まってもらって、番組製作に協力してもらう体制ができていったことだった。