年末から福井の実家に帰省し、2020年の年明けをすごし、5日の夜に東京国立にもどってきた。
帰省する直前に、子どもや、風邪ひきの人もまじえた大人たちがけっこう大勢、国立春野亭に出入りした。
そのどこかでもらったらしく、帰省直後から喉が腫れて声が出なくなり、咳や発熱に見舞われた。
年末の3日間は寝たり起きたりしてすごし、年明けはすこし回復するも、喉と咳は相変わらず。
4日になってふたたび発熱。
しかし、しっかり寝て、すぐに回復。
腰はあいかわらず痛くて、痛み止めがないとすごせない。
下腹部にも妙な尿意のような痛みがあって、小水がたまっていないのにもやもやする。
ガンというのは、急に具合が悪くなって倒れるのではなく、すこしずつ具合が悪いところが多くなっていって、気がついたら動けなくなっているということなのかな、と思う。
まだ動けないというところまでは行っていないが、この調子で不具合が増えていくと、いずれは動けなくなるかもしれない。
長年、風邪で寝込むなんてことはなかったのに、あっけなくひいてしまったのは、たぶん免疫力が低下しているからなんだろう。
放射線治療の影響なのかもしれない。
当然、回復力も低下していると思われる。
風邪はなんとか去ってくれて、咳はまだ残っているが、東京にもどってくるだけの活力は回復した。
階段を上り下りしても息があまりあがらなくなったのはありがたい。
ずっと咳をしていたせいで、背中も腰もバリバリに筋肉がはっている。
これからは免疫力が低下しているという自覚のもとに、行動することにする。
■活字出版から自己出版、メルマガの世界へ
1995年ごろにはニフティサーブ「本と雑誌フォーラム」のシスオペはもうやめていたはずだ。
不特定多数のユーザーと交流したり、お世話したりするのは楽しかったが、非常に消耗することでもあったので、私は個人的活動にもどっていった。
意図的ではなかったけれど。
そのころ「まぐまぐ」というメールマガジン配信サービスが人気を集めはじめていて、私はそれに注目した。
基本的に無料でだれでもメールマガジンを配信することができる。
いまでこそメールマガジン——メルマガは珍しくもなくなっているが、当時は自分の書いたものが無料で多く人のメールボックスに直接、プッシュ型で届くというのは、なかなか画期的なシステムだった。
実際に職業作家として商業出版社と仕事するようになって痛感したことだが、小説家やライターでもない一般人が自分の書いたものを世に問うには、紙の本や雑誌に活字として印刷して流通させなければならないというハードルがある。
それは大変高いハードルで、私は運よく自分の書いたものが編集者の目にとまって活字出版デビューできたが、そのために何度も、長年挑戦しつづけている人がたくさんいる。
ひょっとして挑戦しつづけて、一生かなわないまま終わってしまう人もいる。
自費出版という、高額な自己資金を使って本を出す人も多い。
ところがネットが普及し、メルマガシステムがだれでも使えるようになったとき、これはまさに出版そのものの仕組みを個人が手にいれたも同様ではないか、ということに気づいたのだ。
これまではなにか書いても、プロ作家の私でさえまずは編集者に渡し、出版社の編集営業会議をパスしなければ活字にならなかったものが、ネットでは書いてメルマガシステムに原稿を流しこめばそのまま読者のもとに届いてしまうのだ。
驚くべき仕組みだった。
そこで気づいたのは、私は文章を「お金を得る」ために書いているのではなく、「だれかに読んでもらう、人に喜んでもらう」ために書いているのだ、ということだった。
多くの小説家志望の人がやってしまうことだが、書きたいものを書いて人に読んでもらうことと、お金を稼ぐことをいっしょくたにしてはいけない。
そこを見誤らないようにしないと、つらいことになってしまう。
私はお金を稼ぐことはどこかでなんとかなるだろうと思い(とりあえずかんがえないことにして)、自己出版システムの実験をはじめることにした。
まぐまぐを使って小説を配信し、また自分の創作過程や執筆生活を開示し、読者と直接交流する試みに乗りだしたのだ。
結果は私の予想をはるかに超えるおどろくようなものだった。