このところ現代朗読のワークがすこし注目され、じわりと参加者が増えていることはすでに書いた。
じわり「現代朗読」ふたたび
現代朗読で「読む」のは本ではなく自分自身
基本的に国立市の春野亭で稽古しているが、ちょくちょく出張ワークショップをおこなったり(中京や関西方面)、都内での講座を持つ機会がある。
残念ながらこの1月いっぱいで閉店となる三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉でも、隔月で野々宮卯妙が現代朗読のワークショップを開催していた。
オハナは完全に店がなくなってしまうということではなく、本拠地を瀬戸内の大三島に移して、ゲストハウス付きカフェとして存続するのだが(すでにサービスしている)、三茶の店でのワークショップがなくなってしまうことを残念に思った人が、別の場所での開催を提案してくれた。
それが、池尻大橋の〈アカシデカフェ〉というわけだ。
オーナーの有紀さんがよくご理解してくれて、毎月、朗読のワークショップを開催させてもらえることになった。
私と野々宮卯妙が交代で案内役をつとめる予定だ。
そのパイロット版として、まずは朗読リサイタルを、ということになった。
といっても、かるいレクチャーとワーク付きになる予定だ。
現代朗読がめざしていることや、実際におこなっていることは、いわゆる一般的な朗読とはかなり雰囲気を異にしている。
現代朗読では、「本を上手に読めるようになる」ことをめざしてはいない。
なにをめざしているかというと、「本を読んでいる自分自身の生命現象をあらわし伝えること」をめざしている。
本を読む、というのは、声を使ってテキスト情報を伝達することだが、テキスト情報以外にとても豊かなものが伝わる。
声を出すという行為は、呼吸や姿勢をはじめ、身体全体を使っていて、身体表現といってもいいと私はかんがえている。
また、人間の表現行為のなかでも、音声表現は自分自身の写し鏡のように「自分の内容がダイレクトにあらわれる」ことが起きる。
自分自身のいまこの瞬間に起きていたり受け取っていることに気づきつづけてなにかを読む人と、そうでない人とでは、なにかが決定的にちがう。
なにがどうちがうかは、実際にやってみればわかる。
朗読しながらも自分の身体の変化に注目し、自分自身に気づきつづける練習をするというのは、自分がいつも全体性を持ち、自分自身といっしょに居続けることの練習でもある。
この練習は、日常生活のなかでも力を発揮する。
アカシデカフェでのワークショップではそういうことを伝え、いっしょに練習したいと思っているし、そのパイロット版のリサイタルでは方向性を知ってもらい、その一端を体験してもらえればと思っている。
朗読に興味がある人、あるいは朗読には興味はないけれど表現に興味がある人、自分自身の本当の声とか全体性に興味がある人、そういった方々に気軽にご参加いただきたい。
◎1月25日:朗読への招待@池尻大橋
駒場の住宅街の一角の〈アカシデカフェ〉で「朗読への招待」をスタートするにあたり、1月25日(木)15時から朗読リサイタル+ミニ講座(ドリンク付)を開催します。