みなさんはいかがだろうか。
年齢を重ねるにつれ、このニーズは大きくなるような気がする。
いや、もともとあったニーズだけど、年齢がそれを意識させるようになってきたのかもしれない。
すべての人にひとしく流れている時間という現象、そのなかにあって、私に与えられた命の時間がたしかに残りのカウントダウンをはじめているような感じがある。
いまこの瞬間を生きていることにはまちがいないのだが、観念としての残り時間があり、いわばその「思念」が「我想」として一種の圧力を私にかけている。
このニーズが活力を生んでいるときはいいのだが、きちんとつながれていないときに自分のなかで怒りやあせりなどの感情を生むバックグラウンドモードとして働いてしまうことがある。
だれかと時間を約束して待ち合わせしていたのに、無為に待たされてしまったとか……
がんばってなにかをやったのにうまくいかなくて全部無駄になってしまったとか……
人の役に立ちたくてそういう場や機会をもうけたのに、思ったように人が集まらなかったとか……
私の場合、このところ、自分が主催したり案内人をつとめている共感カフェの場に、思うように参加者が集まらないということが何度かあった。
せっかく移動時間、拘束時間、移動経費といったリソースを割いて出向いたのに、参加者が全然集まらないということがつづいた。
そんなとき、自分のリソースを金銭換算して、まったく見合わない、自分の時間が無駄だった、命の有効活用のニーズが満たされなかった、と思ったりする。
しかし、本当にそうなのだろうか。
私たちは、いや私は、命の活動を金銭に換算する癖が身についてしまっている。
そうではなくて、本来私は、金銭に換算できない命のニーズにしたがってこれらのことを始めたのではなかったか。
いまもなにごとにも換えられない大切なニーズを満たそうとして、自分の時間を使っているのではないか。
そのことにもう一度接続してみる必要がある。
そうはいえ、やはり命を有効活用するには、その効果や効率も大切なファクターだ。
ならば、有効活用のニーズにつながったまま、自分の行動や計画を洗いなおしてみればいいだろう。
最近はそんなことをかんがえながら、自分のおこないを振り返ったり、計画したりしなおしている。
余談だけれど、そんなとき、マインドフル手帳術がけっこう役に立ったりするんだな。
この手帳術を広めたい、知ってもらいたいというのも、私の命の有効活用のニーズに含まれる「貢献のニーズ」なのだろう。
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会、2月の開催は3(土)/10(土)/19(月)/24(土)、いずれも14時から約3時間です。