「自分自身にいきいきとつながり、成長しながらもその瞬間の最高のパフォーマンスを発揮できる活体であることで、目的をもって世界に貢献しつづけること」
これは私がこれまで作ってきた「場」の目的であり、これからもそのように作っていきたいと願っているコンセプトで、そもそもは自分自身がそのようにありたいというニーズの中心核を言語化したものだ。
「自分自身にいきいきとつながっている」状態というのは、ちょっとはやりっぽくなってしまったけれど「マインドフルネス」であることで、つまりはいまこの瞬間の自分自身とまわりから自分が受け取っているさまざまなことに(価値判断抜きに)気づきつづけていることをいう。
共感的コミュニケーションでは「自己共感」ができているといい、つまりは自分自身の「ニーズ」に気づき、把握しつづけている状態のことをいう。
「活体」とはさらにそれが進展し、いまにもニーズを満たすために動こうとしている、あるいは動きはじめている身体的状態のことだ。
全身がいきいきと充満しているが、かといって力んでいるわけではなく、脱力しているわけでもない。
ほどよく必要なだけパワーに満ち、楽々と、軽々と自分自身を発揮できる状態にある。
こういったことを心がけ、それがもたらされたとき、人は自分自身をその目的・ニーズのために最大限に生かしきることができる。
そのために、古来から、さまざまな生きる工夫、哲学、修行法が考案され、実行されてきた。
現在も自己啓発本があふれていることからわかるように、あらたな方法が提案されつづけているが、すでにそれは古来の方法にあるといっていい。
私が日々稽古している武術や、音読療法に取りいれられている呼吸法や発声をもちいた心身調整法のなかに、上記すべてのエッセンスが詰まっている。
また、さまざまな瞑想法があるが、これも私は音楽瞑想として古来の方法をシンプルにまとめてみた。
今年2018年もいくつかの切り口で学びと気づきの「場」を持ったり、そのような場に呼ばれれば喜んで駆けつけるつもりだが、いずれにしても冒頭のコンセプトから離れるものではない。
人は死ぬまで自分自身でありつづけ、またその人として世界と関わりつづけ、貢献できれば幸せなのではないだろうか。