2016年11月3日、文化の日の木曜日に両国門天ホールまでコンテンポラリー・ピアニズム「くりかへす悦び2」というコンサートを聴きに行ってきました。
中村和枝さんによるピアノの演奏会です。
ほんとは「中村和枝先生」とお呼びしなければなりません。
というのは、先日来、私は中村和枝先生に弟子入りして、クラシック音楽(現代音楽)の演奏法について一から習いなおしているところだからです。
このことについてはすでに書きましたが、中村和枝さんのような「超」がつくといって過言ではないすぐれた演奏家にじかに弟子入りするチャンスがあるというのが、東京に住んでいることが幸運だと思える数少ないことのひとつです。
私のように田舎と東京を行ったり来たりしている者にとっては、まばゆい存在が手のとどく場所にいる東京という地がそこに住んでいる人にとってどれだけ恵まれたことであるのかよくわかるんですが、東京に住んでいるとそのことについてはとても鈍感になってしまいます。
私も東京に活動拠点を移して16年以上がたってしまい、ときに鈍感になりかけていることに気づいたので、お金が、時間がと、というようないいわけをきっぱりと切り捨て、すばらしいチャンスを享受させてもらおうと決めました。
話をもどします。
とてもうかつなことですが、「くりかへす悦び2」なのですから、「くりかえす悦び1」もあったのです。
残念ながらそちらは聴きそびれました。
そしてうかつなことに、なんで「くりかへす悦び」というタイトルなんだろうとぼんやりと思いながら出かけたのです。
さらにさらにうかつなことに、私のスケジュールには「18:30」と書かれていて、私はそれが開場時間だとばかり思いこんでいたのです。
ところがそれは開演時間だったのです。
途中で気がついてあわててしまったんですが、中央線はスピードアップしてくれません。
せめて両国駅から早足で門天ホールに急ぎ、会場にかけこんだのは、たぶん18時40分近く。
会場にかろうじて入れてもらったら、シーンとしてすでにコンサートははじまっているようす。
和枝さんもピアノについていましたが、しかし楽譜を表示させているiPadをのぞきこんでいて、いままさに演奏をはじめる直前のような感じだったので、いそいで席につきました。
そしたら演奏がはじまりました。
そんなわけで、当日パンフレットも読む時間はなかったんです。
「くりかへす悦び」がどういう主旨のコンサートなのか、理解していないまま、演奏がはじまりました。
最初の曲はアレックス・ミンチェクの「茎」。
すばらしく多様性とエネルギーに満ちあふれた曲です。
和枝さんの集中もすばらしく、まさに疾走し、静止し、ふりほどき、からまりあい、つかみ取り、放り投げる、といった演奏。
一瞬も飽きることなく堪能しました。
二曲めは黒田崇宏の「グラデュアリズム」。
こちらは一転して、一見単調に聴こえる変奏曲です。
変奏曲というので、主題があって、変奏があるはずなんですが、変奏が変奏だとわかりにくく作ってあるということで、しかしたしかに変化しているのです。
不協和音の構成が高い音圧を作るようになっていて、ピアノ特有の減衰する残響音のなかに奇妙に変化する倍音同士のぶつかった響きがあって、おもしろかったのです。
しかし、これは奇妙に眠気を誘う音でした。
三曲めは松平頼暁の「デュアル・ミュージック/ピアノ・ウィズ・ヴォイス」。
これは、まあ、ピアニストが歌う、歌う、本格的に歌う。
このために和枝さんはヴォーカルレッスンに通ったそうです。
示唆とアイディアと刺激に満ちた曲で、最後まで楽しませていただきました。
休憩がはさまれたので、当日パンフレットをそこで初めて私は見ました。
そしたら曲目のところに、
「曲順はその瞬間までわかりません」
と書いてあったんですね。
どういうことだろうと思っていたら、どうやら後半もおなじ曲目を「くりかえして」演奏するらしいのです。
なるほど、そういう意味だったのか、とはじめてわかりました。
現代曲は――とくに初めて聴くような曲は、一度聴いてもなかなかなじめないものですが、じゃあおなじ曲をプログラムの後半でもう一度演奏したらどのように聴こえるだろうか、という試みなのです。
おもしろいですね。
そうしてはじまった後半は、前半の二曲目で演奏した「グラデュアリズム」が最初でした。
二曲めは「デュアル・ミュージック」、歌います。
そのあと、和枝さんがみなさんに挨拶して、来場のお礼を述べられました。
さて、最後の曲か、と思っていたら、そのまま退場しようとするではありませんか。
「ミンチェク、まだやってないよ」
という指摘があって、和枝さんもそれに気づいたようです。
まったく彼女らしいんですが、本気で演奏し忘れていたようです。
これには会場も大爆笑。
私ももちろん爆笑。
こういうところが憎めない、チャーミングなところですね、ってわが師匠にいうような言葉ではありませんが。
もちろん最後に「茎」を演奏して、今度こそ終了。
すばらしい演奏会でした。
あらためて、私のような我流でいいかげんに自分の好きなようにしか弾いてこなかったピアノ弾きが、現代曲の演奏家として最高レベルにいるような(しかもチャーミングな)方からあらためて直接指導していただけるなんて、夢のようなことだとかみしめながら、幸せな気分で帰路についたのでした。
そしてもうひとつ。
これだけは書いておきたいと思うことがあります。
私がおこなっている「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演もそうですが、この「くりかへす悦び」というコンサートも、一見、人々の経済活動や生活にはなんの役目もはたしていないように見えるものが、ちゃんと開催され、継続的に活動できるという状況が、どれほど貴重で、また危ういものであるのか、そのことを守るためにはどんなことが必要なのか、なにができるのか、ひとりでも多くの人とともにかんがえ、実践できる場を作っていくことが私の役割のひとつなのかもしれないな、と、いま、思っています。
◎
「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前(12.12)
深くことば、静寂、音、そして空間とご自分の存在そのものをあじわっていただく「体験」型公演です。年内閉館が決まっているキッド・アイラック・アート・ホールでの最終公演となります。