2015年9月26日土曜日

単発参加ができるようになった基礎ゼミ

今日の午前中は、ゼミ生でなくても単発参加ができるようなった現代朗読の朗読表現基礎ゼミを開催した。
これまでは基礎コースとして全10回のシリーズだったものを、毎回テーマを設定してどの回でも参加できるようにした。
さっそく、今日はおひとり、ゼミ生以外に外部からの参加があった。

今日の基礎ゼミのテーマは「朗読という表現行為/表現とはなにか/自分自身を表現するということ」。
基礎トレーニング(呼吸法、発声、体認のエチュード)のあと、座学。
朗読を含む「表現行為」とは、そもそもなにをどうすることなのか。
なにを表現するのか。
なにを伝えるのか。

いろいろなかんがえや方法があるが、現代朗読においては「いまこの瞬間の変化しつづける自分自身のありよう、いきいきとした生命活動や自身の存在そのものを表し伝える」ことを表現と呼んでいる。
しかし、表現はほかにも、テキスト(物語)の内容を伝えるとか、作者の思いを伝えるとか、お客さんに満足してもらったり賞讃されるようなテクニックを見せるとか、さまざまな立場がある。
それらを否定するものではないが、現代朗読では自分の外側にあるものではなく、マインドフルにいまこの瞬間の自分自身に起こっていることを、誠実に、正直に、無防備に、のびやかに表現することに集中する。

端的にいってしまえば、感じるまま好き勝手にやればいいのだが、それがなかなかにむずかしい。
非常に多くのとらわれや思いこみに縛られているのが、私たちの普通の状態なのだ。
自由にやることを「厳しく」問いつめてみるのが、現代朗読という試みだといえる。

朗読という表現行為はだれにでもできるがゆえに、自分自身の「社会的規定」への「寄りかかり」具合があぶり出されやすい。
ここからスタートして、厳しく自分自身の生命存在に注意を向けられるようになれば、朗読にかぎらずさまざまな表現行為に向かうことも可能だろうと私はかんがえている。
げんに私は朗読ではなく、音楽表現でそれをやっている。

午後は遠方からのオンライン参加のゼミ生もまじえた昼ゼミ、夜は次世代作家養成塾ことテキスト表現ゼミを開催。
表現研究三昧の一日だった。

次週・10月3日(土)の朗読表現基礎ゼミのテーマは「ことば・声/呼吸/姿勢/身体/日常トレーニング」。
興味のある方はこちらをどうぞ。

そしてその夜の次世代作家養成塾のテーマは「テキスト表現におけるオリジナリティとはなにか/それを決定づけるもの」。
こちらも単発参加ができるので、こちらをどうぞ。