2014年8月28日木曜日

ピアニスト、帰省する

だいたい毎月数日間、北陸の実家に帰省しているのだが、今回の帰省はなんとなく「ピアニスト」として帰省していた感が強かった。

今回の帰省は8月24日から27日までの4日間。
25日に三か月に一度の恒例となった福井県立病院でのピアノコンサートがあることがわかっていたのだが、帰省する直前までなにやかやと予定が立てこんどていて、曲の準備がほとんどできなかった。
このコンサートでは日本の唱歌などの季節の曲をいつも演奏しているが、今回は夏の終わりから秋にかけてという季節で、なかなかしっくりくる曲がない。

とうとう帰省当日になってしまって、北陸の実家へ移動してから曲目の準備、当然まったく練習できないまま、翌日の本番を迎えることになってしまった。
しかし、私の演奏は、練習はするけれど、本番ではあらかじめ準備したことをなぞることはしない。
練習でいいアレンジができることがあると、これを本番で使おうと思うことはあるが、いざ本番になると気分が変わったり、忘れてしまったりして、結局そのときの即興で演奏することが多い。
たまに練習のときのアレンジを思いだし、そのとおりにやろうとすることがあるが、そういうときは逆にうまくいかなくなってしまう。
あらかじめ準備したことをなぞろうとすると、それを踏みはずしたときは「失敗」になってしまうし、うまくなぞれたとしても「いまここ」の自分の状態を無視して「虚構」を演じることになるので、生気は失われてしまう。

ということで開きなおって、本番のときの自分自身にすべて任せることにした。
結果的には、うまくいった部分もあればうまくいかなかった部分もある。
しかし、自分自身に正直に、誠実に演奏できたという実感はあって、表現の深化の道すじは踏みはずさなかったと感じている。

帰省中に朝日新聞で、ピアニストであり作家であるヴァレリー・アファナシエフと吉本ばななの短い対談のコラムを読んだ。
アファナシエフは詩作や小説、随筆などの著作があり、私も『ピアニストのノート』を愛読している。
コラムを読みながら、そうか、自分もかんがえてみればピアニストであり作家でもあるのだなあ、とあらためて思った。
ピアニスト、つまり実演家であり、同時に作家=著作者であるというのはどういうことなのか。
あらためてこのことをきちんとかんがえてみよう。

帰省中にはおいしいものを食べ――写真にあるように、サザエのつぼ焼きやゴーヤチャンプル、手打ちのおろし蕎麦、オクラの胡麻和えなどの夏野菜の料理――、夜明け前後の里山の風景を楽しみ、刈り取り前の黄金の稲穂や怖いほどに大きく育った里芋畑を見たりした。
これらは私が書きのこしたい世界のできごとであり、また演奏という抽象化の作業によってもだれかに届けたいことでもある。