2018年2月3日土曜日

楽しかった共感編み物カフェ

先日来、気づいたり、思いついたりしたさまざまなことを実行に移すべく、1月31日に共感編み物カフェを開催した。
さまざまなこと、についてはこちらの記事をご参照いただきたい。

「縁側における身体性が日本人の共感的身体」
「共感的コミュニケーションにおける四つの共感モード」

共感編み物カフェのねらいは、参加者それぞれが編み物という手仕事をおこなっている状態で、自分事にもつながりながら、そこにいっしょにいる人たちの話を聞いたり、様子をなんとなく受け取っている、という「ゆるやかな共感の場・関係性」を試してみたい、ということだ。
それは、上記事にも書いた「縁側」の感じを、再獲得してみたいという意図から来ている。

実際におこなったこと。
まず、時間帯をゆるやかに設定すること。
私が午後3時から夜8時まで場をひらくので、参加したい人は好きな時間に来て、好きな時間に帰ってもらていい、という設定。
また、会場に直接来てもらってもいいし、ネット経由オンラインで参加してもいい、という設定。
そのための会場とネットの機材設定をおこなった。

また、いっしょに編み物をする、という目的をかかげてあるが、編み物をしてもしなくてもよく、編み物以外に絵を描いたり、自分の仕事をしたり、横でミーティングをしていてもいい。
実際に設計図面を引いたり料理をしたり、事務局ミーティングが横でおこなわれたりもしていた。

本当にゆるやかな場だが、そこにはたしかにつながりがあり、またこれが重要だと思うけれど、参加者それぞれが「自分がここにいる」というプレゼンスの感覚を持って居つづけることができたと思う。

非常に基本的なことだが、プレゼンスがなければ共感は生まれない。
「いまここ」の感覚は、最近、さまざまに表現されていて、「マインドフルネス」とか「フロー/ゾーン」とか、あるいはいろいろな種類の瞑想や呼吸法でも試みられているが、そのなかでも編み物などの手仕事は日常的なゆるやかさで、しかしとても自然な「いまここ」をもたらすことができると私は思っている。
それは私自身が編み物をやることで経験していることだ。

共感カフェで編み物をしながら人の話を聞いたり、共感を向けたりするのが、私にとってはとても自然で心地いいし、また相手も居心地がいいといってくれることが多い。
もっとも、自分の話を聞いてもらうとき、相手がなにかをしながら、という状態に怒りやいらだちをおぼえる人もいることも確かで、そのことには配慮しなければならないだろう。
私がいっているのは、あくまで日常的で、自然な共感的身体の話だ。

共感編み物カフェでは、かつての縁側のような日常的で自然な共感の場や身体性が失われた現代社会において、意図的にそういうつながりの場を再試行してみようという意図がある。
先日の共感編み物カフェでは、それが思ったよりうまくいったし、このような場を継続的に、そして拡大的につづけてほしいという意見も聞かれた。
私も楽しかったし、このような機会をつづけてみようと思っている。
興味をひかれた方は、一度参加してみてほしい。

2月28日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあう場。まるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地となる予定です。編み物ができない人ややりたくない人も歓迎。午後3時から8時まで、出入り自由。