2017年12月31日日曜日

音楽:オレゴン・イン・モスクワ

北陸の山間部の田舎町に暮らす高校生が、FMラジオで生まれて初めてジャズミュージックに触れ、夢中になったとき、とりわけ熱中したのは、そのころに全盛期をほこっていたバンド〈ウェザーリポート〉だった。
ウェザーリポートのほかにも、ちょうどフュージョン(当時はクロスオーバーといっていた)が盛んになってきていたころで、こんなのジャズじゃない、などといわれながらもリスナーはどんどん増えていた。
私もウェザーリポートだけでなく、チック・コリアの〈リターン・トゥ・フォーエバー〉とか、ハービー・ハンコックとか、いろいろなフュージョンを聞きあさっていた。

これらの音楽は電気楽器が特徴的で、シンセサイザーやエレクトリックベース、エレキギター、その他電気的なエフェクトを通した音色が多用されていた。
帝王マイルスもトランペットにエフェクターを通して吹いていた。

私はごく最近まで、自分はそういった多彩な音色や電子楽器に興味をひかれていたんだとばかり思っていたが、どうも違うらしいということに遅まきながら最近気づいた。
というのも、〈オレゴン〉というグループを再聴しはじめたからだ。

オレゴンはその名のとおり、オレゴン出身のミュージシャンが集まって作ったフュージョングループで、電子楽器も使っていたが、それが特徴というわけではなかった。
彼らの特徴はジャンルにとらわれない、まさに融合されたサウンドやリズムワークにあった。
とくにクラシック音楽やインド音楽、その他民族音楽を取りこんでいて、初期のオレゴンはインド楽器のタブラやシタール、そしてジャズではめずらしいオーボエがメロディ楽器として使われていた。
オーボエはいま現在もオレゴンサウンドのシンボルとしてつづいている。
オーボエ奏者はポール・マッキャンドレス。

彼はオーボエのほかに、私が知るかぎり、ソプラノサックスやバスクラリネット、その他さまざまな吹奏楽器を扱っている。
ポールのほかに、オレゴンの初期メンバーは、ギターとピアノ(キーボード)のラルフ・タウナー、ベースのグレン・ムーア、タブラやシタール、パーカッションのコリン・ウォルコットの4人だった。
私が最初に聴いたのはたぶん1975年ごろで、インド音楽やアラブ音楽、あるいはヨーロピアントラディショナルのテイストなどが交錯したサウンドで、心底びっくりした。
ずっと聴いていたかったが、ジャズの世界ではオレゴンというグループはあまり有名ではないみたいで、ウェザー・リポートやキース・ジャレット、チック・コリア、ハービー・ハンコックなどに比べればまったくオンエアのチャンスが少なかった。
それで、なけなしの小遣いをはたいてLPレコードを買って、すりきれるまで聴いたことを思いだす。
そのアルバムだって、田舎のレコード店では入手するのが大変だった。

その後、しばらくオレゴンのことは忘れていたのだが、十数年前にラルフ・タウナーがソロでしばしば来日していることを知り、また彼のすばらしい『アンセム』というアルバムにしびれたりしたことがきっかけで、またオレゴンを聴くようになった。
メンバーは、パーカッションのコリン・ウォルコットが1984年という早い時期に自動車事故で他界していて、いまはパーカッションやドラムスが別メンバーに交代しているが、その他の3人は相変わらず元気に活躍していることがうれしい。
ただ、サウンドは当然のことながら、初期オレゴンとは変化しており、そのことをあまり歓迎しないファンがいることも理解できるが、私は変化を楽しんでいる。

そして、表題のアルバムだ。
オレゴンは基本的に4人というコンボ編成で多彩なサウンドを繰り出すことが魅力なのだが、このアルバムにかぎっていえばオーケストラとの共演となっている。
まさに共演で、オーケストラサウンドをバックアレンジにくっつけたというようなものではなく、このアルバムのためにオレゴンとオーケストラのサウンドを融合させるためにスコアを書いているのだ。

スコアはラルフ・タウナーが大部分を、ほかのほとんどをポール・マッキャンドレスが書いているようだ。
アルバムタイトルを見て、モスクワのオーケストラ? ん? と思った私も、1曲めの「Round Robin」の美しいアレンジを聴いて打ちのめされてしまった。

オーケストラはモスクワ・チャイコフスキー交響楽団。
難しい譜面を楽団はスリリングに弾きこなしている。
それにしても、難しいアレンジ譜をよくも遠慮なくぶつけたものだと感心する。

たとえば、クラシック演奏家にとっては面倒なはずのリズムの煩雑さ。
オレゴンにとってはあたりまえのことなのだが、6拍子と5拍子が交互になった曲、あるいは11拍子の曲など、とても面倒。
「イカルス」という曲も6拍子と5拍子が入り混じった曲で、オレゴンの4人メンバーではちょくちょく演奏しているが、オーケストラとからむとなるとややこしくなる。
しかし、その複雑さを感じさせない、美しいアレンジで、幻想的な曲をスリリングに盛りあげている。

とにかく、もうずっと、何度もなんどもヘビーローテーションで聴いていたいアルバムなのだ。
ひさしぶりにそんなアルバムに出会って、そしてオレゴンがいまだに健在であること、オレゴンを牽引しているラルフ・タウナーやポール・マッキャンドレスがソロでも活躍をつづけていることなどを知って、まだまだ楽しみがあるのだろうとわくわくしている。

それにしても、彼ら、私より10歳以上も年上の先輩なんだなあ。
私もがんばらねば。

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2017年12月29日金曜日

共感的コミュニケーションの2018年版について

昨日もお知らせしましたが、『共感的コミュニケーション2018』がアマゾンKindleから発売になり、ダウンロード購入できるようになっています。
Kindleなどの電子書籍リーダー端末や、スマートフォン、タブレット端末、コンピューターなどのアプリで読むことができます。
紙本は年明けに販売開始になりますので、紙本が必要な方はもうしばらくお待ちください。

『共感的コミュニケーション2018』の「2018年版について」の部分を、抜粋して紹介します。

(2018年版について)
 『共感的コミニケーション二〇一七』をリリースして一年がたった。ありがたいことに、電子書籍版も紙本も、大変たくさんの人に手に取ってもらうことができた。
 私のもとには多くの方から、感想や質問、あるいは実際に役に立ったことの報告とお礼が届いていて、うれしく感激している。『二〇一七』が必要としている人の手に日々渡っていき、またそのフィードバックが毎日のように私に届く、そのことは私にとって「お祝い」に値《あたい》することで、この本をリリースしたことで満たされた私のニーズは計り知れないほど多い。
 『二〇一七』をリリースしたあとも――それは実際には二〇一七年という一年間ということだが――私は共感的コミュニケーションの勉強会を主催したり、みなさんから講師として招かれたり、あるいは個人的に相談を受けたりして、活動をつづけていくなかで、そのつどの気づきや考察をブログやメールマガジンの記事として書きつづけてきた。
 本書はそんなふうに、二〇一七年一年間をとおしてすこしずつ書きついできた記事に加筆と修正をおこない、一冊の本にまとめなおしたものだ。したがって、『二〇一七』とは重複する記事はなく、あらたに書きおろしたものと同様の内容になっている。
 加筆・修正の作業をおこないながら感じたことだが、この一年のあいだに私なりに共感的コミュニケーションについてのかんがえや理解が変化したり深まったりした部分があり、より進展した内容になっているのではないだろうか。お読みいただくみなさんにもそのように感じていただければ幸いだ。
 そしてもちろん、これは営業的な言質になってしまうけれど、この『共感的コミュニケーション二〇一八』は、できれば『共感的コミュニケーション二〇一七』とあわせてお読みいただくことをおすすめしたい。



2017年12月28日木曜日

新刊『共感的コミュニケーション2018』Kindle版配信スタート

新刊電子書籍(アマゾンKindle)『共感的コミュニケーション2018』のダウンロード販売が、アマゾンでスタートしました。
500円ですが、プライム会員などが利用できる「Kindle unlimited」サービスでは無料です。
スマートフォンやタブレット端末、Kindleなどの電子書籍リーダーで持ち歩いて読むのに最適です。

多くの方にご愛顧いただいている前著『共感的コミュニケーション2017』の続編で、内容は重複していません。
合わせてお読みいただけるとうれしいです。

ダウンロードはこちらから。

2017年12月25日月曜日

井の頭公園〈森の食卓〉での朗読と音楽のクリスマスコンサート、終了

2018年12月23日、土曜日。
井の頭公園の森の横にあるカフェレストラン〈森の食卓〉で、ここでは初となる朗読と音楽のクリスマスコンサートをおこなってきた。

こちらでは毎月、野々宮卯妙と栗山のぞみが共感的コミュニケーションの勉強会をひらいているのだが、アップライトピアノがあるのでコンサートをやってみようということになったのだ。
そして私は世田谷から国立に居を移してから、野々宮との朗読セッションはあまりやれていなかった。

野々宮とは世田谷・明大前のキッド・アイラック・アート・ホールでながらく「沈黙の朗読×音楽瞑想」などの公演を多数おこなっていたのだが、ホールが2016年末に場を閉じて以来、定期的に公演を打っていなかった。
なので、今回のクリスマスコンサートはひさしぶりな感じがした。

朗読や演奏を聴いていただくだけでなく、十数人というこじんまりした参加者のみなさんと交流したり、いっしょに音読エチュードを体験してもらったりと、とてもアットホームな雰囲気の場となった。

音読エチュードは音読療法として日頃高齢者介護施設でおこなっているような唱歌の歌詞の群読エチュードを、元気なみなさん向けにちょっと難易度をあげてやってみた。
みなさん、反応がよく、楽しんでいただけたようでよかった。

私自身は初めてのピアノにちょっと馴染みが浅くて、すっかり満足のいく演奏というわけではなかったが、ひさしぶりの朗読とのセッションや即興演奏を楽しませてもらった。

終了後の交流会もなごやかで楽しい雰囲気となった。
それぞれの方のお声をひとりひとり、直接聞けて、大変ありがたくうれしかった。
よいクリスマスだった。

この回のために書きおろした新作テキスト「かなたから来てここにたどり着く」は、こちら「水色文庫」で公開ずみ。

2017年12月24日日曜日

映画:ワンダー・ウーマン

監督はパティ・ジェンキンスという人で、私はまったく知らない人だった。
ジェンキンスという名前は最近なじみがあったけれど、もちろん無関係(だと思う)。
アメリカン・コミック原作の映画としては初めてとなる女性監督らしい。

女性監督だからどうとか、男性監督だとこうなったとか、変なジャッジはしたくないけれど、前半の女ばかりの島での生活の部分がまったりと(悪くいえば冗長に、よくいえば丁寧に)描かれていたのは、女性らしい感じがしないでもない。
けど、女性とか男性とか、どうでもよろし。
見所はもちろん、主役をつとめたガル・ガドットという女優。

イスラエル出身で、2004年にはミス・イスラエルになっている経歴の持ち主。
身長が177センチあるらしいが、映画のなかではあまりそれは感じさせない(そのように撮影や編集がされているのかもしれない)。
ワンダー・ウーマンの前に「ワイルド・スピード」のシリーズでデビューして、注目されている。

映画自体はまさにコミック(=まんが)であり、ストーリーも単純であほらしい。
このところ大量に作られているコミック映画のなかでも、ひときわ単細胞的であり、まだスーパーマンやスパイダーマンのほうが陰影があって立体的。
バットマンやアイアンマン、デアデビル、アイアン・フィスト、ジェシカ・ジョーンズなどはさらに陰が深く、単純なヒーローものからだいぶ逸脱して、ダークな面もある。
とくに私が最近気にいっているパニッシャーにいたっては、ダークな面もあるなんてもんじゃなく、人をがんがん殺しまくる、ヒーローのイメージを完全にくつがえすダークサイドヒーローだ。

そんな流れから見ると、ワンダー・ウーマンはなんと清らかで、子どもらしいんだろうと感じる。

ガル・ガドットはイスラエル出身ということでいろいろ批判も聞こえてくるが、不思議な女優で、シーンによってはまるで感じが変わる。
ごく普通の女に見えるかと思えば、はっとするほどの美女に見えたりすることがある。
ばかばかしいコスチュームもコスプレだと思えば楽しめるのだろう(あいにく私にはそっちの趣味は、皆無とはいわないが少ない)。

「ワンダー・ウーマン2」が公開予定らしいが、きっとまた観てしまうんだろうな。
それはそれとして、ガル・ガドットのシリアスな演技も観てみたい。


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水色文庫新作「かなたから来てここにたどり着く」登録しました

水色文庫の新作「かなたから来てここにたどり着く」を登録しました。

このテキストは2017年12月、東京・吉祥寺〈森の食卓〉でおこなった朗読と音楽のクリスマスコンサートのために書きおろした作品です。

2017年12月23日土曜日

速報:3月9日に渋谷文化総合センターで沈黙の朗読×音楽瞑想

あの「沈黙の朗読×音楽瞑想」公演が帰ってきます。
明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて連続公演をおこなっていた「沈黙の朗読×音楽瞑想」ですが、ホールが2016年末に場を閉じて以来、東京では公演が中断していました。

それがあらたに、2018年3月9日(金)夜、渋谷区の文化総合センター大和田にて、新作公演となって帰ってきます。
ぜひとも予定をあけてお待ちいただくようにお願いします。
詳細は近日中に発表します。

2017年12月22日金曜日

映画:エイリアン・コヴェナント

あまりに楽しみにしすぎて、期待はずれでがっかりするということがあるけれど、それに近いことが起きてしまった。
とはいえ、この映画がだめだったかといえば、全面的にはそういいたくないという気持ちがある。

リドリー・スコット監督による最初の「エイリアン」からはるばるやってきて、ここにふたたびリドリー・スコットによるシリーズの新作が公開された。
期待しないほうが無理だが、この「コヴェナント」の前に「プロメテウス」が公開ずみだったことを、私はすっかり忘れていた。
「コヴェナント」はてっきり、これまでさんざんいじくり倒されて変な方向に行ってしまったエイリアンシリーズを軌道修正すべく、正統なエイリアンシリーズの一作として完全に独立した作品(というのは矛盾した表現だが)として作られたものだと思いこんでいたのだ。
だから、見終わったとき、これが「プロメテウス」の続編として作られたものだとわかって、ちょっとがっかりしたのだった。

がっかりした理由はほかにもある。
リドリー・スコットという監督は、どの映画も「超一流/超大作」という感じはしないものの、魅力的な作品が多く、とくにその登場キャラクターの配置には絶妙なものがあると思っていた。
古い順にならべてみても、
「ブレードランナー」
「ブラックレイン」
「テルマ&ルイーズ」
「ハンニバル」
「オデッセイ」
いずれも主人公はもちろん、脇役にも魅力的なキャラクターが配置され、ストーリーを盛りあげていた。
もちろん最初の「エイリアン」はリプリー役ことシガニー・ウィーバーだ。

前作であることが判明した「プロメテウス」にも、個性的な役者が登場している。
ガイ・ピアースにシャーリーズ・セロン、主人公の女性考古学者にはノオミ・ラパス。
彼女の体当たりの演技にはのけぞらされた。
この「コヴェナント」はそれらに比べると魅力に欠けるといわざるをえない。
そこが残念だ。

エイリアンシリーズは最初の「エイリアン」のあと、ジェイムズ・キャメロンによる「エイリアン2」(これもすばらしい)、デヴィッド・フィンチャーによる「エイリアン3」(残念)、ジャン=ピエール・ジュネによる「エイリアン4」(うーん)ときて、「プロメテウス」と「コヴェナント」でリドリー・スコットの手に戻ってきた。
それは喜ばしいことといわねばならない。
ひょっとして、まだ続編がありそう?

生涯に見た映画のベスト10をあげるとしたら、そのなかに「エイリアン」と「エイリアン2」を私は迷わずいれるだろう。
しかし、残念ながら「プロメテウス」と「コヴェナント」は入れられない。
だからといって、まったく楽しめないわけではない。
楽しめるし、スリリングな要素もたくさんある。
もう続編は作らなくていいよ、という気持ちも本音としてあるけどね。

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2017年12月21日木曜日

育ってきた音読トレーナー

今日の午後は毎月恒例になった練馬区にある高齢者介護施設での「いきいき音読ケア」に行ってくる。
もう五年近くになるだろうか、毎月欠かさず行って、音読療法をベースにしたケアワークをみなさんといっしょに楽しんでいる。

今日は、今年の春に音読トレーナー講座を受講して、無事に実践レポートを提出し終えてトレーナー資格認定されたまなみさんが、同行してくれることになっている。
音読トレーナーは養成合宿を経たのち、最低三回の現場実践とそのレポートを提出することが、資格認定の要件となっている。
まなみさんは現場三回だけでなく、その後もチャンスをとらえては練馬の現場にサポートに来てくれている。

そろそろ経験も積んだことだし、そして施設の皆さんとも顔なじみになったこともあって、明日は最初から最後までひとりでファシリテートしてもねらおうかなと思っている。
もちろん私がしっかりサポートするので心配はいらないが、そうやって完全に自立してもらって、自分ひとりでもいろいろな施設で音読ワークをファシリテートしたり、行政や企業や団体にも音読療法の有効性をアピールしてもらって社会貢献の仕事をしていったもらえたりと思う。

さらに、年明けには音読と共感をコラボした勉強会(カフェ)を予定していて、そこでもまなみさんをはじめとする音読トレーナーが参加し、経験を積んでくれることを期待している。
その後、自分でも積極的に音読カフェの場作りをやっていってくれたらいいと思うのだ。
そうやって音読療法が皆さんに知られ、日頃の心身の調整や健康や予防に役立つことが広まっていくことを、私は願っている。

いずれにしても、私自身、もうおなじみになった練馬の施設のみなさんとお会いするのが、明日も楽しみでしかたがない。

1月6日:ボイスセラピー講座@各務原〈カフェ花寧香〉
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座を、岐阜県各務原市で開催します。東海・中京など、お近くの方はこの機会をご利用ください。

1月8日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。1月8日(日)10時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

2017年12月20日水曜日

車の運転中の生産活動

今年(2017年)の春ごろから車を運転する機会が多くなった。
母が入院し、その後介護施設のお世話になったので、母の車を私が使うことになったのだ。
東京と北陸の実家のあいだをそれまでは飛行機で往復していたのだが、車で往復してみた。

私は車の運転がまったく苦ではなく、また友人の安納献に教わったアレクサンダーテクニークというボディワークのおかげで運転中にもまったく疲れないようになったので、東京=北陸の片道約450キロの運転も平気だ。
飛行機より時間はかかるが、なにしろドア・ツー・ドアで気楽だし、途中で好きなところに立ち寄れる。
とくに私のことを必要としてくれる人が途中で呼びとめてくれれば、共感的コミュニケーションや音読療法や現代朗読や音楽レッスンなどのコーチができる。
げんにいまは、名古屋市天白区の水野生惠さんの〈アロマファン〉や、岐阜県各務原氏の白狼澪さんの〈カフェ花寧香〉で、ほぼ定期的になんらかのワークを開催させてもらっていて、移動中の活動拠点となっている。
とてもありがたい。

そんな長時間にわたる運転中に、ただ音楽を聴いたりしているのもいいけれど、なにか生産的なことができないだろうかと、あれこれ試行錯誤中。
音楽を聴く以外には、最初にやったのはラジオを聴くこと。
車にはラジオがついているので、スイッチを押せばそのままラジオ放送を聴けるのだが、長距離を移動していくと地域の周波数に合わせ直す必要が出てくる。
これがけっこう頻繁な作業で、運転中だとあぶない。

解決策として、ネットラジオを使うという方法があった。
ネットラジオだと、車が移動しても、地域ごとにラジオ局を合わせ直す必要がなくなる。
山間部だと携帯電波が悪くなるところはあるけれども、基本的にずっとつながっているので、わずらわしさはない。
快適だ。

ネットラジオの延長としてPodcastを聴くのもいい。
オーディオブックを聞くのもいい。
オーディオブックの場合、結構長い文芸長編小説などもじっくり聞くことができる。
もちろん、必要に応じて、ビジネス書や自己啓発本を読むのもいいだろう。

さらに進めて、私は車の運転をしながら生産活動ができないかと考えている。
つまり、ブログやメールマガジンなどの執筆活動ができないかと思っているのだ。
いきなり車の中でそれを試すのではなく、今デスクトップでそれを試そうとしている。

これまで何度か音声入力による執筆を試みたことがある。
いずれもなんとなく失敗に終わっている。
それは、音声入力のソフトウェアが未熟だったということもあるし、音声入力の認識率が低かったというのも大きい。
そして何より、音声入力でテキストを執筆すると言う自分自身の慣れの問題があった。
これが最も大きな障壁になっていたかもしれない。
これはひとえに慣れるしかないのだが、それにしてもストレスなく音声入力の認識率が上がっている必要がある。

ここ数日、改めて音声入力を試している。
直接 MacBook Pro に入力するのではなく、iPhone(iOS)からWiFi経由でMacに送りこむという方法だ。

iPhoneに向かって文章を吹きこみ、iOSでテキスト変換させたものを、MacBook Pro のテキスト入力画面に送りこんで表示させる。
誤変換や取りこぼしがあれば、MacBook Pro のキーボードを直接操作して修正してしまう。
この方法だと、かなり正確に入力できるし、スピードもあがる。

しばらくこの方法を試してみる。
うまくいくようなら、この方法を応用して、運転中のテキスト入力=執筆作業として運用できるかもしれない。
また報告する。

2017年12月18日月曜日

貯金箱にコツコツとお金をためて

12月10日は愛知県知立市の〈パティオ池鯉鮒(ちりゅう)〉に行って、語人・サヤ佳ちゃんとその仲間たち〈ゆめぱレット〉が出演する知立演劇フェスティバルに参加してきた。

このフェスにはサヤ佳ちゃんと何度か参加したことがあって、これまでは大ホールのほうで開催されていたのだが、今年(だか去年だかから)は小ホールのほうに移動しての開催ということだった。

先月、豊田産業文化センターでおなじメンバーでおこなった「語りの会」の内容を、短縮して構成しなおしたものを、このフェスに持ってきた。
私はピアノ演奏で参加したのだが、歌の伴奏がいくつか増えた。
歌はみんなで歌う曲と、稲石さんがひとりで歌うものが何曲かあって、私の曲も一曲、その他は童謡とか唱歌。

豊田では中学の音楽の先生が伴奏してくれたんだけど、知立には来れないとのことで、私が臨時に伴奏。
だけど、リハーサルはほとんどなし。
適当にキーを合わせて伴奏したら、
「すごいですねー、すぐに伴奏できるなんて」
とびっくりされた。
でもこれはいつものことなので私は驚かないし、よく知っている簡単なコード進行の曲ばかりなので、転調もまったく難しくない。
こうやって書いているのも、自慢するためではなくて、ピアノが弾ける人ならだれでもできることなのでちょっと練習してみんなで音楽を楽しめるようになればいいのに、興味がある人は教えますよ(個人レッスンで)、ということをいいたいだけだ。

それはともかく、今年の知立演劇フェスではサヤ佳ちゃんと私たちのステージをなぜか思ったよりたくさんの人が聴きに来てくれていて、びっくりしたのだった。
そしてとてもよいステージになって、私たちもお客さんも大満足したのだった。

終わってからサヤ佳ちゃんが、出演料というかこれまでのレッスン代として、自分の貯金からおろしたものを私にくれた。
交通宿泊費は別にいただいているので恐縮なんだけど、サヤ佳ちゃんがほかのところで語ったり手伝ったりしてもらったお金をコツコツと貯めていたもので、ほんとうに涙が出るようにありがたく感じて、遠慮なくもらうことにしている。

知的障害者であるサヤ佳ちゃんは、一時、理解がある会社でお勤めしていたこともあるけれど、やはり語り活動との両立は大変で、いまは語りと〈ゆめぱレット〉という団体の活動に専念している。
だからけっして余裕があるわけではないのだが、そうやってすこしずつ積立たものを私にくれるというのは、それがお金であるとか金額がどうとかいう話とは別に、ほんとうにありがたく、切ないほどうれしいことだと思うのだ。

そんなサヤ佳ちゃんをサポートしてきた活動も、年があけると満15年になるらしい。
サポートというより、共演者として、これからもずっと私が元気で活動できるかぎり、いっしょにやっていきたい。

YouTube:良きにつけ悪しきにつけ人から評価されたとき

人からほめられるとうれしい、舞い上がる、けなされると悲しい、苦しんでしまう。
「自分はこれでいいのだ」という自己肯定感が低い人が多いようですが、自己肯定を他者評価にゆだねていてはうまくいきません。
人から評価を受けたとき、こちらが影響を受けずに自分らしくありつづけるためには、どうしたらいいでしょうか。

そんな話を、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催した、共感的コミュニケーションの手法をもちいた自己共感とオリジナル表現のためのテキスト表現ワークショップでしました。


映像はこちら

2017年12月17日日曜日

YouTube:共感文章講座の前置き「私はなぜ書くのか」

名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催した、共感的コミュニケーションの手法をもちいた自己共感とオリジナル表現のためのテキスト表現ワークショップで、前置きとして講師の水城が話した部分を抜粋してお送りします。

水城がいかにして共感的コミュニケーションを表現の世界に持ちこんだのか、そこでなにが起こったのか、このアプローチを用いることでどんなことが起こるのか、話しています。

映像はこちら

身体を使って共感を学ぶ、名古屋編

先日・12月14日(木)の午後、名古屋市天白区の水野生惠さんの古民家スペース〈アロマファン〉で「音読と共感のコラボカフェ」を開催した。
生惠さんにはこちらのスペース〈アロマファン〉を毎月のように提供してもらって、私が案内人となるワークや勉強会を主催してもらっている。
ありがたいかぎりだ。
この居心地のいい古民家スペースを、私の名古屋での活動拠点のひとつのように使わせてもらえるというのは、本当にサポートや尊重のニーズが満たされてうれしく感じている。

今回は音読と共感のコラボということで、私がみなさんとのつながりや貢献のニーズからおこなっている「音読カフェ」と「共感カフェ」のふたつを合体させてしまおうという、欲張りな企画だった。

音読カフェは音読療法をもちいた心身の調整、健康法、予防法、活力アップや介護予防のノウハウを、お茶をいただきながら気軽に練習しようというもの。
共感カフェは共感的コミュニケーションをお茶をいただきながら気軽に学んだり練習したりしようというもの。

ふたつを合体させることで相乗効果が見込まれる。
共感的コミュニケーションは、ことばの使い方やその原理・プロセスを学ぶということに目が向いて、とかく知識やアタマに注目が偏りがちだが、実際には身体感覚として学びを深めることが重要だ。
とくに自分自身につながるための自己共感において、それが重要となる。

自分自身の身体やいきいきとした感覚に目を向けておくことで、学びが深まることが経験的にわかっている。
なので、共感カフェの前に音読療法の呼吸法や発声、表現のワークをおこなうことはとても有効なのだ。
今回のコラボカフェは、そんなねらいがあった。

もっとも、コラボといってもともにカフェ形式のなかで気楽に、お互いの気楽さや安心を大切にしながら進めていったので、音読療法も共感的コミュニケーションも初めての方、まだ経験の浅い方も、気軽にご参加いただけたのではないかと思う。
もちろん経験を積んでいる方も、相乗効果のなかで発見や気づきがあっただろうし、そういう私自身も今回をふくめて毎回、発見や気づきがある。

ご参加いただいたみなさん、生惠さん、今回もありがとう。
年明けには1月7日にまたお会いしましょう。

1月7日:朗読と共感のコラボカフェ@名古屋天白
自由でのびやかな表現を心がける現代朗読と共感的コミュニケーションのコラボ企画を、名古屋天白の気持ちのいい古民家スペース〈アロマファン〉にて、新年1月7日の午前・午後で開催します。

2017年12月16日土曜日

YouTube:人の役に立ちたいと思ったときも自分を手放さない

どんな人にも多少なりともだれかの役に立ちたい、貢献したい、という気持ちがあります。
それが高じると、自分のペースや能力やキャパシティを棚にあげて、必死にだれかの役に立とうとがんばってしまいます。
しかしそれではあまりいいことが起こらないし、いい結果も生まれません。
どんなときにも、まずは自分のニーズにつながり、そこから行動を起こす必要があります。
人の役に立ちたいと思っているときも、それは本当は自分自身の喜びをともなったニーズがあるのです。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。


映像はこちら

2017年12月13日水曜日

YouTube:ニーズには近景と遠景がある

どんなときにも人にはニーズがあり、それが満たされたり満たされなかったりするとき、感情があらわれたり、言動が生まれたりします。
自分自身のニーズを明確にし、自分につながっているとき、その言動はクリアで力強いものとなります。
これを自己共感ができている状態といいます。
ところで、ニーズには「すぐ目の前のいまこの瞬間にいきいきしている」ような近景と、その背後にレイヤー構造としてある遠景のようなものがあります。
この両方を把握していることが大切なのです。

岐阜各務原のカフェ〈花寧香〉で開催した共感カフェで水城が話したことを、抜粋して紹介します。


映像はこちら

2017年12月11日月曜日

アカシデカフェ、オハナ、知立文化会館、アロマファン

5年間つづいていた三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーションのミニライブ付き勉強会が、8日(金)をもって最終回となった。
最後は、というか、最後も、とてもいきいきとした最終回となった。
参加いただいたのは、経営者、公務員、講師、ヒーラー、お勤めの人、さまざまな方だったが、感謝したい。

オハナが終わると聞いて、親切にも、三茶の近くの池尻大橋にある〈アカシデカフェ〉につないでくれた人がいたので、オハナの前に野々宮といっしょに寄ってきた。
まだあたらしい店で、とてもきれいですっきりした、居心地のいいカフェだ。
てっきり、共感的コミュニケーションに興味を持ってくれているのだと思って行ったのだが、オーナーのゆきさんは朗読表現に興味があるのだという。
現代朗読のワークを定期的にこちらでやろうという話になった。
ありがたいことだ。

朗読のワークショップとはいえ、現代朗読は共感的コミュニケーションを重要なファクターとして取りいれている。
いわば身体的・音声的共感表現の練習ともいえる。

私と野々宮が隔月交代で担当することになる予定だ。
おなじ現代朗読のワークとはいえ、野々宮は朗読の実演者、私は演出家という立場で、それぞれアプローチがちがっていると思うので、ぜひ両方を体験してもらいたい。

金曜日は現代朗読ゼミを午前中に開催したあと、車を飛ばして知立に移動。
語人・サヤ佳ちゃんとその仲間たちが出演する知立演劇フェスティバルに出演するための、前日リハーサルに参加した。
このフェスには、去年こそ参加しなかったものの、その前に何度か参加している。
今年はサヤ佳ちゃんが代表をつとめる〈ゆめぱレット〉というグループでの参加で、私はピアノ演奏と、ちょっとだけ演出のお手伝いで、サポート出演した。

終了後は福井の実家に帰省して、木曜日・14日には名古屋天白の水野生惠さんの古民家スペース〈アロマファン〉で、音読と共感のコラボカフェを午後1時から開催する。
お近くの方、ご都合のつく方はどうぞお越しください。
とても居心地のいい民家で、アットホームな雰囲気でこころと身体の調整・健康法をおこなったり、共感的コミュニケーションについて知識と体感の統合をめざした勉強会を開催する予定。

2017年12月10日日曜日

メールやSNSにおける共感的コミュニケーション

「メールとかSNSのメッセージで共感しあうことはできますか?」
という質問にたいして、これまで多くの人に、言下に、
「できません」
と、にべもない返事をしつづけてきた。
たしかにそういう側面もあるし、いまもコミュニケーションは対面でなければ重要な情報の多くが抜け落ちてしまうというかんがえは変わりない。
しかし、文章=テキストで「まったく」共感しあうことができないか、というと、そうでもないような気が最近はしてきている。

私が「できない」といいきってきたのは、言語および身体コミュニケーションを前提とした共感のプロセスが念頭にあったからだ。
たしかにだれかがだれかに共感する、あるいは共感しあうという交流においては、ことばに含まれるテキスト情報だけでなく、それがどのように発しられているのか、どんな調子なのか、どんなリズムなのか、そこにはどのような感情が読めるのか、引いてはそのことばはどのような身体から発しられているのか、といった複雑でリッチな情報の受け取り合いが重要になってくる。
しかし、それは対面または直接の音声交流がリアルタイムにおこなわれることを前提とした共感のプロセスにおいて重要だ、という意味だ。

最初からリッチ情報を交換できない、という限定された条件で共感を試みるとしたら、どんなアプローチがありうるのだろうか。
たとえばテキスト情報しか交換できないという限定条件において。

その観点から、共感のプロセスを一から見直してみたとき、あらたな可能性が浮かびあがってくる。
テキストで共感的な交流がまったくできない、ということは、ないのではないか。

このところ私がみなさんと試みて、大きな成果をあげている、「なにかを書くことによって自己共感を深める」というワークで、上記の可能性が私のなかでふくらんできた。
自己共感だけでなく、他者共感も試みることができるし、相互共感もありうるかもしれない。
その際、リアルタイムでリッチな交流とはかなり異なるアプローチが必要だろうと思う。
とはいえ、共感的コミュニケーションの核心的な原理をはずすわけでは、もちろんない。

こんなことをかんがえはじめて、ひさしぶりにかなりわくわくしている。
共感的コミュニケーションという体系のなかで、まだあまり手をつけられていないテキストコミュニケーションの原野に、ざっくりと冒険の舵を向けてみようと思っている。

2017年12月7日木曜日

最近のこと、母の葬儀など

昨年末に脳内出血で倒れた母は、手術、リハビリと入院生活を今年の5月まですごし、その後高齢者介護施設(特別養護老人ホーム)に入所していた。
最初のころは元気に歩いたり、食事もしていたのだが、しだいに弱ってきて、寝たきりになり、話もしにくくなってきた。
脳機能障害と、2回の切除を経て再発・転移したガンの進行が思ったより早かったのだ。

ここ数か月はかなり弱ってきて、食事がまったくできなくなって点滴でしのいでいた。
11月末には呼吸が不安定になることがあって、「そろそろ」という声が医師や介護職員から出ていたので、私もそれなりに覚悟していた。

12月1日の早朝に連絡があり、こちらに連絡する間もなく息を引きとったという。
そのまま車に乗って実家にもどった。
すでに遺体は葬儀屋によって自宅に運ばれ、座敷に安置されていた。

身内と隣近所だけに知らせ、ごく簡素に通夜と葬儀をおこなった。
それでも思ったより多くの人が来てくれて、いずれも母と親しかった人たちばかりで、心からのお別れをしにきた人ばかりだった。
僧侶が何人も来て頼みもしないお経をあげるようなことはなく、静かに親しい者だけでお別れした。

お通夜の夜、おいでいただいたみなさんにはそこそこにお引き取りいただいて、私は母とふたりだけで座敷で寝た。
ものいわぬ母とゆっくりすごせたのはありがたかった。

母とはここ数年、私にとっては「和解」とも感じられる共感的な対話を積みかさねることができていて、私もうれしかったが、母も喜んでくれていたとしたらいいなあと思っている。
別に仲が悪かったわけではないけれど、ふつうの親子にありがちな表面的でパターン化された会話やつながりしかなかったのだが、母が車の運転で事故を起こしたことをきっかけに、共感的な対話を試みたのが、私にとってはつながりのチャレンジだったし、それがよかった。

母を見送ったいま、私は寂しさを感じるけれど、安らかさもあって、母もそうであったらいいなと願っている。

東京にいったんもどってきて、今週は共感週間ともいうような共感カフェや文章講座のイベントがつづいているが、母とのつながりを取りもどした私の経験をだれかとシェアする機会があるといいなと思う。
もちろん母のこと、母とのことについては、あらためて書きのこしてみたいとはかんがえている。
それが私の供養だから。

2017年12月4日月曜日

YouTube:ピアノ即興アレンジ演奏「ふるさと」@福井県立病院

2017年10月に福井県立病院のエントランスホールで「秋のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像の一部を抜粋してお送りします。
唱歌「ふるさと」の即興アレンジ演奏です。
作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一です。


映像はこちら