いうまでもなくマイルス・デイビスはジャズ界、いや音楽界の最大の巨人である。
これには異論のある人はそういないだろうし、私が「最大の巨人」といいきるにはちゃんと理由がある。
私はピアニストであり、音楽の専門家であって、こと音楽に関してはいい加減なことはいわないのだ(自分基準)。
この映画であつかわれている「空白の5年間」については、『マイルス自伝』に詳しい。
といっても、「マイルスが語ったこと」であり、真偽のほどはあきらかではないが、その話が事実であるかどうかより、マイルスがなにをどう語ったかのほうが大事なのだ。
この映画もそうで、内容はかなり脚色されていると思われるが、ドン・チードルがマイルスをどう語ったか、どう演じたか、その映画からはどのような音と風景が見えてくるかのほうが大事だ。
それにしても、ドン・チードルという役者はすごいな。
だれもが見たことはあると思うが、「オーシャンズ11」のシリーズやマーベリックシリーズにも出ているメジャー俳優だ。
私は未見なのだが(見なければ!)、「ホテル・ルワンダ」ではアカデミー主演男優賞を獲っている。
そしてこの「マイルス・デイビス」では、主演、脚本、監督をつとめている。
彼の演技もおもしろいが、脚本も、映画の作りもとんがっている。
マイルス・デイビスをそっくりに演じてみせるのはほんの余興で、この映画の本当の見所はその構成、カット、音使いにある。
マイルスの本物の音(レコーディングされた既成の音)を使って、マイルスの(映画の時点での)現在と過去を行き来し、また演奏と現実、役者と本物のミュージシャン、現実と虚構をうまく縫いあわせてみせたのだ。
だから、カットがコラージュのように断片的になっているのだが、そこにはチードルの工夫だろう、音源テープに盗まれそれを取りもどすマイルスと音楽ライターとの二人三脚のドタバタストーリーが縦軸に据えられている。
はっきりいってまったく陳腐なストーリーなのだが、しかしそれはマイルスの物語なのだ。
こんな話が実際にあったかどうかより、このようなシチュエーションのなかでマイルスならどのようにふるまっただろうかというアプローチが、彼へのリスペクトであり、オマージュであり、我々観客にも楽しめる部分となっている。
映画の最後に観客へのちょっとしたプレゼントがある。
本当の「いま」のミュージシャンたちが登場する。
そこへ、いないはずのマイルスがドン・チードルという役者の姿を借りて現れる。
どうやって撮影したのか、音を合わせたのか、とくにチードルのトランペットの指使いはどうやって作ったのか、かなり興味を引かれる。
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