ふたりが最初に私のところにやってきたのは、じつに15年前のことだった。
サヤ佳ちゃんはそのとき、中学3年生で14歳だった。
知的障害を乗りこえて二人三脚で語りの活動をはじめたばかりだった。
母の希依子さんは、サヤ佳ちゃんが語りで自立して生きていってほしいと、いろいろな人のもとを訪れてサヤ佳ちゃんにレッスンを受けさせていたのだった。
私はそのとき、世田谷の豪徳寺に活動拠点があったのだが、わざわざそこまで「ご指導をお願いします」とやってきたのだった。
以来、気がついたら15年、サヤ佳ちゃんの成長を見守り、サポートをつづけさせてもらったことは、私にとっても大きな喜びだ。
その間、私の「指導」は一貫して「よけいなことはしない、成長の邪魔をしない、ただただまっすぐにのびのびと語ってもらう」という方針だった。
本来、人というのはそういうもので、障害があろうがなかろうが、成長するためには「邪魔されないこと」「のびのびと練習できること」「ジャッジされないこと」が必要で、それが保証されたとき、本来その人が備えている能力の可能性を最大限に伸ばすことができる。
それは大人であってもおなじだ。
音楽や文学、朗読などの世界で指導をもとめられることが多かったし、いまでもそうだが、もし私が「指導」するとしたら、「なにもしない」「邪魔しない」ことに尽きる。
私ができるのは、その人がのびやかに、安心して楽しく表現できる環境をととのえることだ。
とはいえ、私も表現する人間なので、私とともになにかをいっしょに作る・共演する、という立場になった場合、当然相手にお願いしたいことも出てくる。
サヤ佳ちゃんを私の共演者としてあつかったとき、彼女にもっとこうなってもらいたい、ここでこうやってほしい、こんなふうな表現がほしい、ということが出てくる。
それはもちろん、彼女になにかを「足してほしい」といっているわけではなくて、本来彼女が持っているものをより発揮してもらいたいだけなのだが、そうするためにはそうするための訓練がやはり必要になる。
この15年間、お母さんの庇護のもと、ひたすらまっすぐ伸びつづけてきたサヤ佳ちゃんだけど、ここから先はそろそろ表現者としてさらに魅力を増す別次元のレベルへと進んでいってもらいたいし、それができる人だと私は確信している。
これまでもすばらしい語り手だったが、これからはさらに朗読や身体表現も加わって、本当に楽しみな表現者へとさらに大きく成長していくだろうと、私は思っている。