2015年3月14日土曜日

いまの私の生産現場(ただのテーブルだけど)

やたら無思慮に忙しく自分を見失いつつある日々から、本当に自分が喜ぶこと、必要性があることだけを、自分の身体にきちんと聞いてみて整理していこうという計画が進行中ですが(これになにか名前をつけなきゃ)、その手始めとして、まずは寝酒をやめてみました。
つぎは自分の仕事スペースまわりの整理です。
とくに机の上。

7年くらい前に、大家さんの知り合いのお宅からもういらなくなったダイニングテーブルと椅子6脚のセットをもらってきたんですが、そのテーブルと椅子を仕事用に使っています。
かなりどっしりした、しっかりしたテーブルで、椅子もしっかりしています。
残念ながら椅子の張り布はすりきれて、ところどころ破れかけてますが、これは張りかえればいいでしょう(どこに頼めばいいのかまだわからない/自分でできるかな)。

テーブルはひとりで使うにはかなり広く、ぜいたくに使えます。
ちょっと広すぎるくらいです。
広すぎるので、テーブルの向こう側をほとんど使ってません(植物を置くくらい)。
しかし、もともと仕事机の上がごちゃごちゃしているのは好きじゃないので、ここを整理するのは私にとっては苦ではありません。

テーブルの手前のほぼ真ん中には、愛用の MacBook Pro 13インチを置いてます。
その右手にサーモスの保温水筒。
いつもこれに暖かい緑茶かほうじ茶を補給して絶やさないようにしてます。
水分は毎日けっこうとってるほうでしょう。

水筒の向こうに見えるのはSONYのスマートホン。
現代朗読協会の電話なんですが、たまにワンセグでニュースを見たりします。
まあ、もしあるとしても、テレビ画面はこのくらいの大きさがちょうどいいんじゃないかと思います。
見なくてもまったくかまいません。

さらに右手にはiPad。
楽譜を表示させたり、お絵描きしたり。

左にはフランクリンのシステム手帳と、持ち歩き用のモレスキン手帳。
スヌーピーの特別限定バージョンです。
かわいいでしょ?

手帳の向こうには、いまちょうど満開の蘭・セロジネの花があります。
これを筆頭に私はけっこう観賞用のプラントを育てているんですが、これがいま悩みどころなんですね。
観賞用の植物ははたして私にとって必要なのか。
これがあることによって生活を複雑にさせてしまっていないか。

植物を持っていると、毎日の水やりや植え替え、肥料、留守にするときの乾燥の心配など、さまざまに手間がかかります。
私の大きな楽しみのひとつでもあるんですが、羽根木の家には庭もあります。
庭をほったらかしにして雑草まみれにしておくくらいなら、室内の植物はいっそ断念して庭をめでればいいではないか、という思いがあります。
しかし、庭の手入れと鉢植えの植物とでは、なにかがちがうような気もします。
かなり迷っています。

植物はテーブルの奥側、窓の近くにもいくつかあります。
いずれももらったり、100円ショップから救出してきたものがようやく元気になりかけているところです。
寒いのでまだまだですが。

蘭の花の横にはカゴにペンやハサミ、カッターナイフなどの文具がはいっています。
花の陰になってますが、温湿度計も置いてあります。
文具カゴの手前にはBOSEのモバイルスピーカーが置いてありますが、これは普段使うことはめったにありません。
音響設備のないカフェやギャラリーのようなところでミニライブをやるときに、ミニマムのライブセットのスピーカーとして持っていきます。
もちろんここで使ってもいいんですが、音がよすぎて音楽に耳を奪われてしまい、仕事になりません。
自分の音楽の編集はモニターヘッドホンをオーディオインターフェースにつないでおこなうので、やはりBOSEは使いません。

その上から花を照らしているライトは、知人からもらったIKEAのライトスタンドです。
なかなか使いやすいです。

仕事空間はけっこうシンプルです。
これ以上シンプルにしようと思ったら植物をカットするしかありませんが、うーむやはり迷ってしまうなあ。
この植物たちは私にとって必要なもののような気もがする。
いや、書いているうちにますますそんな気がしてきた。