韓氏意拳をたしなんでいる身としては、その時点で気づくべきでした。
家の仕事があって、それはなんとかこなしたんですが、翌日、妙に全身が痛い。
筋肉痛になるほど働いたっけなあ、と思っていたら、夕飯がまったく喉を通らなくなっていました。
お腹がピクリとも動かないのがはっきりとわかりました。
第一、非常な腹痛に見舞われました。
早めに休んだんですが、猛烈なさむけがして高熱が出て、腹痛もあいまって一睡もできません。
嘔吐感もあって何度かトイレに駆け込んだんですが、やはりお腹が動いてくれない。
吐きたいのに吐けないというのもつらいものですね。
10日は丸一日寝込んでいて、翌11日は朝からやらなきゃならない家の仕事があったので無理やりに起きて片付け、そのまま東京へ移動。
丸二日間、水以外なにも口にしていない状態で、昨日は早めに就寝。
午後9時すぎくらいに床について、今朝は午前6時にそこそこの体調で起床。
しかし、まだまともに食事するのは危なそうです。
なにより身体がまだ思い通りに動かない感じがするので、なにかやらかしそうで慎重になってます。
私が2年間つづけている中国武術・韓氏意拳では、自身の身体の声を聞く、ということをひたすら深く集中しておこなうんですが、身体の声といってもいろいろあります。
たとえば、もっとも表面的にあらわれる「声」は感情の声です。
怒り、悲しみ、いらだち、喜び、こういったものはもっとも聞こえやすい声で、それとて現代人は無視しがちなんですが、これはだれでも聞き取れます。
韓氏意拳ではそのような表面的な声ではなく、身体の奥というかそのものが全体的から聞こえてくる「生命活動」の声を聞きます。
ただ「手を挙げる」といっても、それは頭で考えた方法や軌道や習慣で挙げるのか、身体全体の協調のあらわれとして手が挙がっていくのかを、厳密に見極めながら稽古を重ねるのです。
今回私は「生命活動の声」にはさらに奥深いものがあり、まだまだ自分はそれを聞くことができていないのだということを思い知りました。
毎日、あたふたと忙しく立ちまわりながらも、どこか空回り感があったり、不安があったり、迷いがあったりするのは、この声にきちんと耳を傾けていないからではないか、その端的なあらわれとして、身体がストライキを起こしてわかりやすく私に知らせてくれたのではないか。
自分にとって、自分の身体にとって、なにが望ましく、喜ばしいことなのか。
これからはそれをきっちりと聞き分けていきたいと思います。
ひいてはそのことで自分自身のパフォーマンスをたかめ、結果的にひとさまのお役にも立てるのではないかと思うのです。