よりシンプルに、単純明快に生きよう、と。
自分ではよかれと思って、たとえば経済的な理由であったり、だれかの役に立つことだと思いこんだり、長年の不義理を背負っていたり、という理由でいろいろなことに無思慮に手を広げてしまいます。
一時はできることはなんでもやろう、と突きすすんでいましたし、またそのことによって得たものも多く、それで現在があるといえないこともないので、完全に否定するのは過去の自分を否定するようでかわいそうになるんですが、それにしてもかんがえが浅い部分もたくさんあったのは事実です。
これからは自分のおこないについて、ひとつひとつ丁寧に、まずは自分の身体にきいてみることにします。
これは本当に自分がやりたいことなのか、喜びをもってやれることなのか、自分にとって必要なことなのか。
その喜びと必然性がないまま漫然と努力を積みかさねることは、悪い結果しかまねきません。
共感的コミュニケーションの世界ではこれを「ニーズを踏みはずす」といいます(嘘。いま思いついた)。
これはもう本当に丁寧にやってみるしかありません。
たとえば、私の楽しみのひとつだった「寝酒」。
20歳前後のころ、私はプロのバーテンダーとして祇園のバーで働いていたんですが、そのときにおぼえた酒の味のなかでいまだにもっとも私の舌にしっくりくるのはウイスキーです。
高級ウイスキーはもちろんおいしいんですが、安ウイスキーでもそれなりに楽しめます。
ほとんど毎晩のように、寝る前にウイスキーをショットグラスに1杯か2杯飲むのが、私の楽しみでした。
しかし、本当に楽しみとして味わっているのか?
ただ習慣的に飲んでいるだけではないのか?
そう思って、数日前から寝酒を絶ってみました。
物理的なアルコール依存ではありませんが、心理的には多少、依存的習慣になっていたのかもしれません。
なにも飲まずに床につくと、なにか物足りなくてしかたがありません。
なかなか眠れません。
いつもなら軽い酔いに手伝ってもらって、ものの数十秒で入眠するんですが、飲まないと入眠に苦労します。
とはいいながら、音楽療法のボトムブレスという呼吸法にたすけられて、いつのまにか眠りについていました。
二日めになると、今夜も眠りにくいんじゃないかと思いながらも、やはり知らないあいだに眠ってしまっていました。
なんだ、やはり寝酒は依存的習慣にすぎなかったんだ。
ウイスキーという酒は好きなので、飲みたいときにはきっと飲むだろうと思いますけど。
寝酒をやめるといいことがあります。
よくいわれていることですが、睡眠が深くなります。
深くなった分、目覚めはすっきりします。
睡眠サイクルアプリのデータを見てみると、私の場合、入眠してから5時間くらいでいったん眠りが浅くなり、ふたたび深くなって、次は6時間半くらいで覚醒に向かっているようです。
ひょっとして5時間くらいの睡眠で起きてしまえるかもしれません。
うまくすると習慣的な寝酒をカットすることと、睡眠時間をシンプルにすることの両方を一度にやれそうです。
このようにして、自分の生活のなかで不必要にやってしまっていることをひとつずつ減らし、より大切なことに短時間で集中できる体勢に持っていくことで、時間にたっぷり余裕のある生活へと移行していけるかもしれません。
私の理想は、自分が本当に集中したい仕事を早朝のみじかい時間にすませてしまい、あとは「今日はなにしようかな」とぶらぶらすごすことです。
好きな料理をしたり編み物をしたりスケッチしたり、草花の世話をしたり散歩をしたり、海を見に行ったり、サーフィンにチャレンジしたり、だれかから展覧会やライブに誘われたらほいほいと出かけていったり。
ああ、1日も早くそういう生活をしたい(明日からしよう)。