ちょうどその時期に、私は毎月1回おこなっているこのワークショップを、たんなる単発のワークショップではなく、参加メンバーによる群読作品を作るための練習会にできないか、できれば最終的に公演の形に持っていけないか、と思い、参加のみなさんにも相談を持ちかけていた。
ホールを借りての正式な公演ではなく、イベントスペースやギャラリーあるいはライブハウスを借り切ってのちいさな公演をめざしていた。
開催にあたって人的パワーや費用もなるべく小さくして、とにかく群読作品を形にすることを目的としたかった。
それでも、会場や集客、告知など、ある程度の準備は必要で、年内には無理かな、2020年になってから、ひょっとすると春ごろにずれこむかも、なんてかんがえていた。
ここにきて私自身の健康が、そのようなスケジュールを許さない状況になってきた。
食道ガンが見つかり、ステージⅣと告知されたのだ。
抗がん剤などの治療をしても余命1年はむずかしいだろう、という医師の見立てだ。
来年の春ごろにどうか、などという悠長なことはいっていられなくなった。
伊藤くんに相談し、公演ではなく、スタジオ収録で群読作品を撮影することにした。
これだと、スタジオでワークショップをおこない、そのままその完成形をその場で撮影できる。
撮影もオープンステージよりはやりやすいはずだし、撮り直しもできる。
漠然としていた映画撮影にたいする私の目的も、くっきりしてきた。
2003年ごろからスタートした朗読研究会を母体として2006年に発足した現代朗読協会の成果を、私の生きた証として形あるものに残しておきたい。
書籍にはまとめてあるが、たくさんある映像記録は散逸している観があるし、現代朗読のセオリーを映像とともにまとめてあるものはない。
私がいなくても多くの人が現代朗読という手法で自分や、自分たち(群読)をいきいきと表現するその道すじを、明らかにしておきたい。
東京のゼミ生や、天白のワークショップの参加者たちには、ことあるごとにそのようなことを伝えていて、おそらく理解してもらっていると感じている。
そのことに尊重と配慮をくれているみなさんには本当に感謝の思いが深い。
天白のメンバーの協力もあって、9月20日には栄の音楽スタジオを借りきって、ワークショップとその成果である群読作品の撮影をおこなうことになった。
午後1時半にスタートして、午後5時半までワークショップと群読作品の撮影をおこなう。
これまでの参加メンバーが中心になるとは思うが、一度も参加したことのない新規・単発参加も歓迎だ。
まったく経験がなくても、だれでも群読表現に参加することができる。
それが現代朗読の考え方であり、また私自身の「だれもがいつでも表現者になれる」という信念がある。
夜はひさしぶりに、野々宮卯妙と私による沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートをおなじ会場でおこなう。
こちらも撮影がはいる。
日中のワークショップに参加できない方は、夜のコンサートにぜひともおいでいただきたい。
10月20日は放射線による私のガン治療スケジュールの中間の日なのだが、なんとかがんばって体調を整えて名古屋に向かいたいと思っている。
みなさんの応援をいただければ幸いである。
◎9月20日:現代朗読ワークショップ「VERBA ACTUS(ウェルバアクトゥス)」
名古屋で現代朗読と非暴力コミュニケーション(NVC)をコラボレートし、群読表現作品を参加者全員で作るワークショップを毎月開催しています。ワークショップでおこなうエチュードがそのまま群読表現の「部品」となります。
◎9月20日:沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサート
水城ゆう&野々宮卯妙の沈黙[朗読×音楽]瞑想コンサートを名古屋でひさしぶりに開催します。会場はグランドピアノがある大スタジオで、完全暗転可能なスペースは、見る者聴く者に響いて引き出す「体験」となる沈黙[朗読×音楽]瞑想にとって最良の空間です。