その傾向は、京都を引きあげて故郷の福井にもどってからもつづき、地方ではあるがかなり盛んだった現代アートと関わりを持ちつづけていた。
1980年代の初頭からなかごろにかけてのことだった。
そのころ、北陸の美術館や現代アートギャラリーで盛んにおこなわれていたのは、美術家によるアートパフォーマンスで、それはとくにニューヨークを中心に注目を浴びていたローリー・アンダーソンやナム・ジュン・パイク、そしてなによりドイツのヨーゼフ・ボイスらの影響を色濃く受けていた。
ナム・ジュン・パイクと活動をともにしていたビデオアーティストの山本圭吾氏が福井出身だったりして、そのあたりのパフォーマーに親近感をおぼえていたし、私も即興ピアノ演奏で美術家や役者やフリージャズのミージシャンらとことあるごとに共演をするようになっていた。
とはいえ、じつのところ、アーティストによるパフォーマンスがそもそもなにを意味するのか、どんなねらいがあるのかについては、よくわかっていなかった。
ただ楽しかったのはたしかだ。
今年の春先にドイツに旅行する機会があった。
いくつかの都市を回ったのだが、現代美術館やギャラリーもいくつか訪れた。
ベルリンのハンブルク駅現代美術館に行ったとき、たまたまヨーゼフ・ボイスの回顧展をやっていた。
ベルリンに限らず、ドイツはどこもそうなのだが、公共施設はどこも人があふれていなくて(駅や交通機関も含む)、ゆったりとすごすことができる。
この美術館もそうで、じっくりと見ることができた。
作品のキャプションはドイツ語と英語で書かれていて、英語は読むことができる。
ボイスの存在でもっとも大きなものは、彫刻の意味を問いなおしたことだろう。
彫刻といえば古来から現代にいたるまで、石や金属や木材やコンクリートや、なにかしら固形の材料をもちいて形(sculpture)を表現することだと、なんとなく思っていた。ボイスはそこに鋭く切りこむ。
まず、材料は固形のものである必要があるのか?
そもそも固定された「物体」である必要はあるのか?
流動的な、あるいは変化する「現象」そのものを彫刻としてとらえることはおかしなことなのか?
我々そのもの――つまり生きて動いて変化しつづけているbodyを表現するのに、そもそも固形物で時間をとめようとすることに無理があるのではないのか?
かくして生まれたパフォーミングアートは、彫刻からスタートしている。
ボイスのまとまった仕事をベルリンで見たとき、生きて動いている存在というか現象である私自身の生命そのものは、いったいなんなのかを鋭く突きつけられたように感じた。
私自身をふくむ生命現象そのものを、アートとどこで線引きできるのか。
そもそもそんな線引きそのものが社会的な都合によって作られた勝手なジャッジではないのか。
ボイスの芸術をつきつめていくと、われわれ自身の存在そのものに行きあたるのだ。
ボイスの問いはそのまんま、自分自身の存在へと向けられる。
いまここにこうして生きている私自身、これはなんなのか。
なんのためにこうして存在しているのか。
私はこの5月末に食道がんが見つかり、余命1年未満と告知されている。
観念的にいえば、あるいは社会通念的にいえば、それはショッキングなことなのかもしれない。
しかし、いま、この瞬間、ここにこうして(これを書いているいま)私が生きて存在していることは、まぎれもない事実で、それについては(これを読んでいるあなたもふくむ)ほかのみなさんとなにも変わりない。
ボイスの問いをここに援用すれば、生きていることそのものがアートであり、すべての行為が表現といえる。
私がこうやって書いている文章も表現ならば、文章を書いているこの行為そのものも表現である。
私がいまテーブルの上に置いたラップトップにむかってキーボードを打っている行為と姿そのものがパフォーマンスであるというのは、ヨーゼフ・ボイスが黒板にチョークで線を引きコヨーテの鳴き声を発したこととなんら変わるものではない。
私は自分のパフォーマンスそのものを楽しみ、まわりの環境や人々との呼応を感じ、瞬間瞬間を味わっていける。
それが生きていくということであり、その時間的累積によって自分がどこにたどりつくかというのは結果でしかない。
いまこの瞬間も、過去の累積によってここにたどりついているわけで、それを残念だと思うか満足だと思うかは利己的なジャッジであり我想にすぎない。
自分という現象から乖離した思考でしかなく、それはもはや私自身とは関係のない観念だ。
私は私を生きる。
それがいつまでなのか、いつ終わりが来るのか、みじかいのか長いのか、それは結果でしかなく、私はいまこの瞬間の私を生き、そして表現する。
もちろんそこには私なりの美意識があり、生きることそのものを「美への昇華としてのアート」という表現したいという望みはある。
それはたしかに、ある。