やせたいとか、かっこよく筋肉質になりたい、というのもあるかもしれないが、筋トレや運動や食事に気をつけることで、体調がよくなっていったり、持久力や集中力が生まれてくるのがいい。
持久力と集中力はおなじことだという実感がある。
あるていど持久力がなければ集中はつづかない。
集中力は持久力に支えられているような気がする。
持久力をつけるためには、やはり体力をつける必要がある。
本来ならわざわざトレーニングしなくても必要な体力はそなわっているはずだが、あまりに身体を使う普通の生活仕事から離れすぎてしまった(私を含む)現代文明人は、心がけて身体を動かしたりトレーニングをしないと、本来の体力を維持できなくなってしまっている。
問題は、そのトレーニングや運動が、部分的で局部的な偏りのあるものになってしまいがちということだ。
文明化する前の、自然のなかで生活していた人間は、どんなふうに身体を使っていたのだろうか。
その原始の人の身体が、本来私たちにそなわっているはずの身体能力なのだろうと思う。
先日の韓競辰老師の韓氏意拳講習会でも、そのようなことが座学で語られた。
この1年くらい、つとめて運動を増やし、筋トレも心がけてきたのだが、ちっとも身体が変わらず、体脂肪もあまり落ちなかった(太りもしなかったけれど)。
韓氏意拳の駒井教練にそのことを相談したところ、いろいろ聞いていただいて、結局、絶対的に食べる量が少ないのだ、という結論に達した。
私の食生活を聞いて、
「それはダイエット食ですね」
といわれた。
たしかに、いわれてみればそのとおり。
太りたくないあまり、糖質はなるべく取らないようにしているばかりでなく、食事そのものの量がとても少ない。
基本的に1日2食、といっても1食は軽く。
日によっては1日1食のときもある。
そりゃ肉はつかないか。
ちょんと食べることにして、1週間前からつとめて1日3食、がんばって間食も、ただしなるべく糖質ではなくタンパク質を多くとるようにした。
結果、順調に太って、体重はたちまち3キロ増。
ただし筋肉量はまだそれほど増えていない。
体脂肪も増加しているわけではないけれど。
ようするに、たくさん食べて、運動しなければ余った分は脂肪になる。
運動すれば筋肉になる。
それだけのことだ。
しっかり食べてしっかり運動する、身体を作るというのはこれだけの話だ。
というわけで、年齢とか虚弱体質とか、骨格が細いとか、そんなことは一切気にせず、ちゃんと食べてそれが身につくように身体をせっせと使うようにしよう。
と簡単にいうけれど、これはすなわち、生活そのものを変えるということなので、なかなか大変な面はある。
が、やればやっただけ自分の身体に結果があらわれるので、ちょっとおもしろい。
今朝も走ったり筋トレしたり、運動してきた。
それはそれとして、こまめな家事労働(掃除とか洗濯とか)はちゃんと身体を使えばいい運動になると思っている。
身体を使うこと、動かすことをいとわないじじぃになろう。
困ったことに、編物だの、ものを書くことだの、ピアノを弾くことだの、じっとしていることばかり大好き人間ではあるんだけどね。