オーディオブックのアイ文庫は創業当初から夏目漱石作品のオーディオブック化に取りくんでいて、長編作品もすでに多くリリースしている。
すでにオーディオブック化してある夏目漱石の中長編作品はつぎのとおり。
『吾輩は猫である』
『坊っちゃん』
『草枕』
『虞美人草』
『三四郎』
『それから』
『門』
『彼岸過迄』
『こころ』
短編も「夢十夜」や「文鳥」など多くある。
多大なる時間と労力を使って、それぞれの朗読者といっしょに作りあげた大切な作品群だ。
たとえば『吾輩』は20時間以上の作品になっている。
20時間の録音物を作るのに何時間くらいかかるかご存じだろうか。
収録、編集、マスタリング、テーマ音楽製作などを経て完成する。
かかりきりになって何日も、ひょっとして何週間もかかることは想像いただけるだろう。
それだけの労力をかけても、またオーディオブックを作りたいと思う。
なぜか。
それは収録が楽しいからだ。
朗読者との共同作業である収録の時間。
時間を超えて形になって残る作品を録音する作業なので、こまかいミスは許されない。
読みちがえはもちろんのこと、ノイズも排除したい。
できればよい音質で長らく聴いてもらえるようなコンテンツを残したい。
かつてアイ文庫は専用スタジオを持っていたこともある。
地下倉庫を改造した広いスタジオだったり、きちんとした音楽スタジオを借りていたこともあった。
しかし経済的理由でこれらは手放した。
いまは普通の民家の一室で録音している。
幸い住宅地で静穏な環境だが、スタジオとはちがって音質には気を使う。
一般の方には聞き慣れないことばかもしれないが「部屋鳴り」という現象がある。
音響スタジオは吸音材が張りめぐらされ、音が反響するようなことはまずないが、住宅の一室だと壁や窓ガラスや床が、材質によっては音をはねかえす。
朗読者の発した声が直接マイクに届くのと、部屋で反射して届くものが重なり、ときには汚い響きが作られてしまうことがある。
それを避けるために、それなりの工夫がいる。
収録機材やソフトウェアはとても安価になって助かっている。
しかし、これらを操作する人間は、音響についての知識やセンス、感受性が修練されている必要がある。
そしてなにより重要なのは、音質ではなく、朗読者の読み方、すなわち「表現」だ。
「この作品をどのように読むのか。どう表現するのか」
音質の善し悪しなどよりはるかに大切な問題だと、私はとらえている。
アイ文庫以外にも多くの会社がオーディオブックを作っていて、それぞれに収録ディレクターがいる(なかには朗読者に丸投げのところもあるらしいが)。
その仕事の多くは、読みまちがえのチェック、ノイズチェック、イントネーションや発音のまちがいのチェックといったものだ。
私もそれをおこなうが、それ以上に重要なのが、表現に関わるディレクションだ。
文章や作品の解釈、セリフの表現、全体のトーン、身体の使い方など、さまざまなディレクションをおこなっている。
私のような朗読演出をオーディオブック収録でおこなえるディレクターはとても少ない。
朗読演出ができるディレクターを育てる環境が、そもそもない。
最近、かつて新潮カセット文庫を作っていた方と仕事でご一緒する機会ができたのだが、その方も朗読演出の重要性を強調しておられた。
ニッポン放送で朗読番組に関わっていた方とも、以前そのような話をしたことがある。
朗読演出において大切なことはなんだろう。
私が注意しているのは、つぎのようなことだ。
・ひとりひとりの朗読者の個性を見極めること
・朗読者が安心してのびのびと表現できるように対話をこころがけること
・本の内容ではなく朗読者の存在そのものが伝わるような作品をめざすこと
・ミスは気にしない(とりなおせばいいのだ)
・無理なスケジュールは組まない(朗読者の快適なペースが重要)
今日は国立春野亭の1階で野々宮卯妙に夏目漱石の長編小説『行人』の出だしを読んでもらった。
長い収録の初日だ。
新聞に連載された小説で、1話5分ほどの長さのものがつながっている。
全部で166話ある。
のべ6時間くらいになる予定だ。
ほかにも窪田涼子や岩崎さとこなど、信頼のおける朗読者に他作品の収録を依頼している。
これら夏目漱石作品だけでなく、とりたい文学作品がまだまだたくさんある。
すぐれた朗読者に集まってもらいたいし、またそういう人を育てていきたいとも思っている。
興味がある方は、まずは現代朗読ゼミに顔を出してみてほしい。
◎
5月5日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。現代朗読については水城ゆうブログ「水の反映」の「現代朗読」ラベルをご参照ください。5月5(日)/12(日)/19(日)、いずれも10時半から約2時間。