それは、人の悪口や愚痴をいってくる人がいて、それが長々ととまらず、また何度も繰り返されてうんざりする、どうにか愚痴をやめさせる方法はないだろうか、ということだ。
それぞれのシチュエーションは違っているが、ここではざっくりと、
「愚痴を繰り返し長々という相手の話をどう聴くか」
ということに焦点をあてて、共感的コミュニケーションの視点からかんがえてみたい。
これらの方たちに共通しているのは、
「すでに愚痴を聴くことにうんざりしている」
ということだ。
すでに愚痴を聴くことにうんざりしている場合、どのように愚痴をこぼす人に対処すればいいか、という切り口でかんがえてみる。
まずこちらにはどのようなニーズがあるのだろうか。
愚痴を聴きはじめたとき、自分のなかから生まれてくるさまざまな強弱の感情が、自分のニーズを教えてくれる。
愚痴を聴きはじめたとき、こちらには、
「またはじまったよー、いつもと同じ話だ。何度も何度もおなじ話を聴かされて、しかも後ろ向きで非生産的で聴けば聴くほどこちらが落ちこむのがわかっていて、うんざりするよ。やだーもう聴きたくない」
という反応や感情があらわれてきたとする。
そのときの反応や感情が示す自分のニーズはなんだろう、ということだ。
そこにつながってみる。
ただ、その前にひとつやっておきたいことがあって、何度もおなじ愚痴を聴かされたり、うんざりさせられた経験が、あなたのなかに一種の「傷」をあたえていて、その「痛み」があなたの行動や感受性を鈍らせてしまっている、ということがあるかないか、確認しておきたい。
もしそれがあるとしたら――とくに痛みが大きい場合は、それがきちんと「聴かれる」必要がある。
聴かれるのは「だれか」であってもいいし、自分自身であってもいいが、いずれも共感的にジャッジやアドバイスや非難なく受け取られ、認められる必要がある。
自分の痛みにたいする客観的な理解と、できれば癒しを経て、ふたたび「愚痴をくりかえす人」の話を聴けるかどうか、あるいは聴きたいかどうか、自分に問うてみる。
「聴きたい」にしても「聴きたくない」にしても、そこには「自分」のニーズがある。
それにつながっていない状態で話を聴くことはできないし、また話を「聴かない」こともできない。
つまり、ニーズにつながらないままなにかを選択してしまったとき、そこには居心地の悪さや後悔が残るだろう。
さて、もし「愚痴をくりかえす人」がいまふたたびあなたのところに来て、愚痴を話しはじめたとする。
そのとき、あなたにはどんなニーズがいきいきするだろうか。
今度こそいやいやではなく積極的に相手の愚痴を聴き、相手がほっとしたり気がすんだりすることに貢献したいと思う?
いつもうまくできなかったことを今度はうまくできるかどうか挑戦してみたいと思う?
あるいは、自分には自分の時間や選択のニーズがあって、相手の話をいま聴く余裕がないと感じる?
後者だったら相手に正直に、自分にはいま話を聴く余裕がないことを伝え、余裕があるときにあらためて聴かせてくれるようにお願いする。
前者の場合、いよいよあなたはこれまでとは違う態度で、本質的な共感を相手に向けてみる。
このときあなたは、本当の意味で「相手のニーズ」に注目しながら話を聴くことにトライすることになる。
よくやりがちで、失敗してしまうパターンは、相手の愚痴の「内容」を聴き、そのニーズを最初に推測してしまう、ということだ。
たとえば、
「仕事がうまくいかなくて、いつも失敗ばかりしてしまう。上司には怒られてばかりだし、同僚からは見放されてしまった。仕事やめようかな。私なんかいないほうがいいのかもしれない」
というようなことを繰り返しグチる友人がいたとする。
あなたは友人に共感しようとして、
「職場のみんなに受け入れられることが大事なのかな? それとももっと能力を身につけて仕事がうまくいくようになることが必要なのかな?」
というようなことを聴いてみる。
ここで共感がうまくいき、友人が自分のニーズに気づいて活力を取りもどせたとしたら、それはそれでいいのだ。
しかし、ときに、友人がなかなか自分のニーズにつながれず、いつまでもグチグチとあなたに後ろ向きな言葉を伝えつづけ、またそれを繰り返すことがある。
そんな場合、友人のニーズは別のところにあるかもしれない。
ひょっとして愚痴を「聴いてもらう」ことそれ自体が相手のニーズなのかもしれない。
だれかに自分のことを聴いてもらいたい、伝えたい、それを受け取ってもらいたい、自分の存在をただ認め受け入れてもらいたい、つながりを感じたい、そんなニーズがあるのかもしれない。
もしそうだとしたら、愚痴の「内容」に共感を向けても、相手は自分につながることはむずかしい。
そうではなくて、相手の愚痴そのものを「聴いている」「受け取っている」「理解しようとしている」というこちらの態度が相手には必要なことで、それが伝わったときはじめて友人は安心できる。
相手の愚痴の「内容」に共感したり、それを解決しようとしたり、解決の役にたとうとしたりするのではなく、愚痴をいっている相手の不安そのものに共感し、受け入れてあげることが、まずは必要なことであることがしばしばある。
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』『祈る人』シリーズ1〜4『共感的コミュニケーション2017』『秘密』『桟橋』『ストリーム』『ジャズの聴き方』ほかにも続々とリリース予定です。一度ご覧ください。