2015年10月2日金曜日

だれになって読むのか/いまここの自分自身で読む

昨日のオーディオブック収録製作コース第6回のテーマは「セリフの扱い/キャラクターと自分自身」だった。
このテーマは現代朗読においても重要で、主要テーマのひとつといってもいい。
端的にいって、
「朗読者は朗読するとき、だれになって読むのか」
という問題だ。

自分に決まってるでしょ、とみなさん思うかもしれない。
本当にそうだろうか。
注意深く観察してみるといい。
夏目漱石の小説を読むとき、あなたは「夏目漱石の小説を読む人」になっていないだろうか。それらしく詠もうとしていないだろうか。
芥川龍之介の『羅生門』を読むとき、「羅生門を読む人」になっていないだろうか。
小説のなかの老婆のセリフに出くわしたとき、「登場人物の老婆」になろうとしていないだろうか。
そもそも、「朗読をする人っぽい自分」になっていないだろうか。
そのとき、あなたは、いまその瞬間の生きて存在しているあなた自身は、自分がその瞬間に感じていること、生きてそこにある感じから遠く離れてしまっていないだろうか。

昨日はちょっとしたエチュードでそのことを参加者たちと検討してみた。
今期のオーディオブックコースで取りあげているテキストは、夏目漱石の『永日小品』のなかの短編「懸物《かけもの》」だ。
その冒頭部分をいろいろに読んでみる。

 1. だれか明確にイメージして、その人物になりきって読んでみる。

小説のなかの登場人物になって読んだ人もいれば、意地悪な老婆になりきって読んだ人もいる。
いずれにしても、そのとき自分がなにをおこなっているのか、どんなことをしようとしてしまっているのかを、できるだけ客観的に観察してみる。
メタ認知能力が必要になる。

 2. 家族など自分のごく身近にいる人をリアルにイメージして、その人になりきって読んでみる。

父親、兄などよく知っている人になって読んでもらった。

 3. いつも朗読している自分の感じになりきって読んでみる。

自分っていつもこんな感じで読んでいるよね、というイメージを再現しながら読んでみる。

これらをやってみてすぐに気づくのは、みなさんそれぞれ、なにかイメージを作ったとき、「そういう身体つき」になっている、ということだ。
ほとんど無意識に身体性を変化させている。
たとえば身体を縮こまらせ、喉をしめ、筋肉を震わせると、老婆になる。

いずれもこういったイメージはすべて「頭のなか」で作りあげた「自分の外側」にあるイメージだということだ。
そこにとらわれているかぎり、自分自身の存在そのものを声に乗せたリッチで複雑な表現はできない。

さて、これらを経て最後にやったのは、いつも基礎トレーニングで練習している「体認」しながら読むという試みだ。
「いま、この瞬間の自分の身体の感じ、自分が受け取っているものを、緻密に注意深く見ながら、たくらみを捨ててただ読む。身体に任せて読む」
そして、ちょってびっくりするようなことが起こった。

たとえば、前期のオーディオブックコースから参加し、今期からゼミ生になった森田くんは、彼が本来持っている繊細で、複雑で、弱さも強さも持ったニュアンスのある声が出てきて、社会性のあるふるまいのなかでは見えてこないような彼の本質的な存在の感触まで伝わってくるような感じがあって、深く感動してしまった。
この感動の瞬間に立ちあえたのは、現代朗読の主宰として本当にしあわせなことだ。
これまでやってきてよかったと思える瞬間だった。
森田くん、ありがとう。
そしてほかの参加者のみなさんもありがとう。

このエチュードはとても有効なプロセスだと思うので、またやってみたい。
このプロセスでまずスタートラインに立ち、そこからクオリティの高い表現者へと深く進入していってほしい。

ハイクオリティのオーディオブック(朗読本)を収録・製作・配信するためのノウハウを学び、トレーニングできる全10回のコースが11月5日(木)夜にスタートします。