元旦から配信スタートした「音楽瞑想(music meditation)」は今日で18曲めの配信となった。
毎日かならず配信すると決めているわけではないが、なるべく一日一曲流したいと思っていて、いまのところ一日もとぎれずに配信できている。
ちょっとだけ裏方の話。コンテンツの作り方。
最初にあるのは、まず曲、というか演奏。
羽根木の家にはアコースティックのピアノはなく、デジタルピアノしかない。
そのmidiアウト端子にmidiケーブルをつないで、MacBookのUSBポートからmidi録音する。
直接ピアノからラインで録音してもいいのだが、安いピアノなので音源もそれなりの音しかしない。
midiで演奏データを取りこんでおけば、好きな音源をそれにあてることができる。
このとき、同時にムービーにも録画しておく。
つぎに、取りこんだ演奏を音楽編集ソフトで実際の音に変える。
といっても、midiデータにピアノの音源を割り当てるだけだが。
私の場合は Mac用の音楽ソフト Logic Pro X を使っていて、そこにバンドルされているベーゼンドルファー(オーストリアのピアノ)の音を当てている。
midiデータをいじって演奏そのものを修正することもできるのだが、あきらかなミスタッチ以外はほとんど修正を加えていない。
演奏したほとんどそのままが、音色だけベーゼンドルファーになって配信されている。
ムービーも同時にとっているので、演奏データを修正すると映像と合わない部分が出てきて、修正したことがバレてしまうしね。
配信用の演奏音源が完成したり、今度は映像編集ソフト Final Cut Pro を使って配信用の映像編集。
録画したムービーデータに音源を読みこんで、タイミングを合わせたら、ムービーのほうの音声は無音にする。
そこに風景とか移動映像などのイメージ映像を重ねて、トランジションの処理。
最後にクレジットをはめこんで完成。
これをYouTubeとブログに配信する。
毎日配信ということで、最初のころは自分のなかの「音楽ネタ」みたいなものを引き出しから出してくるイメージでやっていたが、これを毎日つづけることは不可能だろう。
たぶん、そんなにたくさん引き出しはない。
すでにある引き出しをひっくりかえすのではなく、いまこの瞬間の自分の身体から出てくる音に耳をすます、というイメージで演奏している。
ピアノの前にすわり、なにもかんがえずに、鍵盤に指を置く。
指が、腕が、身体がどう動きたがっているのか、頭のなかをまっしろにして演奏をはじめる。
はじめてみると「そう動きたかったのね」ということがわかり、あとはただそれについていくだけ。
調性があったりなかったり、リズムが生まれたり揺れたり、それを余計な思考が邪魔しないように、ただひたすら思念を無にして、まさに音楽的な瞑想をおこなう。
こんなものを毎日、無料で、そう多くの人が聴いてくれるわけでもないなか、なぜ配信しつづけるのか、という疑問がないわけではない。
実際、なんでこんなことをやっているの、と訊かれることもある。
もっと有意義なこと(たいていの人はそれは「お金になること」という意味のようだが)に時間と労力を使えばいいのに、といわれる。
しかし、私のなかでは、うまく言葉にできないけれど、なにか意義があってやっていることなのだ。
あえていえば、人の存在や表現の多様性に貢献していきたいという気持ちがあるかもしれない。
経済システムや国家主義にたいする私なりのレジスタンスとしてやっている、という側面もあるだろう。
しかし、なにより、毎日こうやって自分自身と自分の音に向かい合うことが楽しいのだ。
それが正直なところだ。
私はピアニストなのであり、音楽を生きている。
※ほぼ毎日配信の音楽瞑想はこちらから聴けます。