毎日配信ブログの「マインドフルな毎日」が2014年12月31日をもって無事に365回の連載を終了したことを受け、2015年1月1日からおなじブログサイトにて新連載「音楽瞑想」をスタートさせた。
これはかならずしも「毎日配信」と決めているわけではないのだが、なるべく毎日配信したいと思っていて、元旦からスタートしたものが今日1月5日で無事に「Vol.5」の配信をおこなった。
われながらしぶとい(笑)。
よくまあ、こんなめんどくさいことを、だれにも頼まれないのに、一円のお金にもならないのに、やるなあと思う。
もちろん自分のためにやっているのだし、楽しいからやっているのだ。
ここ10年くらい、自分がピアノを演奏するということもあるが、現代朗読を主宰したり、そこから派生した音読療法をオーガナイズする過程で、系統的に調べたり学んだり実践してきたことがある。
その流れを書きだしてみる。
パフォーミングアート(表現)
身体への気づき
マインドフルネスとフロー
言語思考を手放す⇒呼吸と瞑想
音楽瞑想
一貫していえるのは、自分自分のいまこの瞬間のありようとまわりのことに気づきつづけ、たくらみと言語思考を手放して、一瞬一瞬真新しい自分自身に出会いつづけることで思いもかけない表現が生まれてくる喜びに立ちあうことをめざしてきた、ということだ。
50歳を超えてようやくそのことに気づいたのは遅きに失したともいえるが、逆に気づくことができてよかったともいえる。
それ以前の私は、とにかく、すばらしい表現を生むためには模倣し、反復し、たくらみ、対象化し、評価しつづけることが必要だと信じていた。
それはそれは苦しい道のりだった。
そしてそれは、自分が自分以外の何者か——ありもしない架空のなにかすばらしい人物——になろうとするむなしいあがきでもあった。
それらすべてを手放し、まったくちがう方向を見てみたとき、かぎりない自由と可能性があった。
もちろんこれらのことに一夜にして気づいたわけではない。
前述したように流れがあり、一歩一歩進んできた実感がある。
またそれはいまも進行中だ。
まだ出会ったこともない自分自身に出会いつづける旅は、おそらく死ぬまでつづく。
その発見と気づきを人に伝える手段を持てていて、本当に幸せだと感じる。
今年スタートした「音楽瞑想」も、動画というネットコンテンツだけでなく、実際のライブでも機会をとらえて実践していきたいと思っている。
みなさんともどこかでお会いできれば幸いである。
※YouTube動画連続配信ブログはこちら。