2012年5月9日水曜日

げろきょに勢いあまって来る人たち

最近、げろきょに来る人が、みんなつんのめっている(笑)。
 これはもちろん比喩であり、また私としてはうれしいからわざわざそう書いているのだ。
 げろきょは「ゼミ」という活動が中心にあり、そのほかにライブワークショップや基礎講座という6回連続シリーズのものがある。ほかにも単発のものとか、個別対応のものもおこなっている。
 げろきょにやってくるルートでもっとも多いのは、ネットで「朗読」などのキーワードで検索してウェブサイトにたどりつき、そこから体験講座を申しこんでくるパターン。体験講座に参加した人の何割かは、ひきつづきライブワークショップや基礎講座を受けてくれたり、ゼミ生になってくれたりする。
 しかし、最近、そのような「通常ルート」を経ないでやってくる人がとても多い。

 「朗読」に限らず、「表現」とか「身体」とか「音読」とか「メンタルケア」とか、さまざまなルートでげろきょのウェブサイトにたどりつく人がいる。そしてなかには、そこに書かれていることを熟読してくれる人がいる。自分がなにかを求めていて、その欲求がとても強く、しかしそれがなんなのかははっきりわかっていない人が、現代朗読について書かれていることを読んで「ピン」と来ることがあるらしいのだ。
 そういう人がげろきょを発見すると、もういてもたってもいられなくなるらしく、直近で参加できるものはどれだろう、と探すらしい。体験講座まで待てないのだ。
 直近のものが現代朗読ではなくボイスセラピストであったり、NVCであったり、ライブであったり、アレクサンダー・テクニーク講座であったりしても、とりあえず申しこんでしまう人がいる。とにかくここに来て、確認したかった、というのだ。そしてすぐにゼミ生になっていく。

 人はもともと「表現したい」という強い欲求をだれもが持っている。その表現欲は、世間でいわれている「表現行為」でなくても、さまざまな形で昇華されていることもあるのだが、より強い欲求を持っている人がたくさんいる。その欲求を抑えつけて、お母さんだったり、妻だったり、会社員だったりしているわけだが、311の震災を機に「人生にはなにが起こるかわからない」「残り人生がどのくらいなのか保証はない」と漠然と気づいた人が多くなった。そうなると、もういたたまれなくて行動せざるをえない人が出てくる。
 そういった人がげろきょにやってくるのだと思う。
 もちろん私は大歓迎だ。そもそも人は自分の表現欲求を押さえつけて生きる必要はない。表現したければみんなが表現すればいいし、またその表現を受け取って返すことも表現だ。
 私も表現欲求の強い人間で(でなければこんなブログを書いていない)、と同時にだれかの表現を受け取りたいとも思っている。つまり、表現欲求はコミュニケーション欲求といいかえてもいいだろう。
本来人はそういうものなのだ。
 みなさん、遠慮せず、どんどんげろきょ(現代朗読協会)に遊びに来てください。