2019年7月23日火曜日

個人的イメージを押しつけるのではなく表現者の可能性を引きだすのが演出家

元ゼミ生のヤザワちゃんが、とにかく会いたい、なにかいっしょにやれることがあればやりたい、といって、国立まで来てくれた。
そしてゼミ生に復帰してくれた。
こんなうれしいことはない。

ヤザワちゃんとは、かつて、芥川龍之介や坂口安吾、新美南吉の短編のオーディオブックをたくさん作っている。
お子さんが小さかったり、次男が生まれたり、仕事が忙しくなったりと、ここ何年かはごぶさた気味だったのだが、今回私の状況を知っていそいで来てくれた。
体調を思いやってくれる気持ちもそうだが、なによりまたなにかいっしょにやりたいといってくれるのがうれしい。

ふと思ったのだが、私のことを気にしてくれていながら、なかなか声をかけにくいとか、訪ねていきにくいと思っている人はほかにもいるんじゃないだろうか。
なかには末期がんなどと聞いて、気になるけれど怖くて連絡できない、近づきにくい、なんて感じている人もいるかもしれない。
それはそれで尊重したい。

ただ、現実的にはどんどん時間がなくなっていくことも確かなことなので、いまのうちにやれることがあれば一緒にやれるとうれしいと思うのだ。

いろんなことをやってきたけれども、かぎられた時間のなかで本当にやりたいことはなんだろうとかんがえると、いくつかのことに絞られてくる。
そのなかのひとつが現代朗読であり、朗読演出だ。

演劇にしてもダンスにしても音楽にしても、演出家が(多くの場合)いて、表現をリードしている。

その場合、私がかんがえる演出とは、演出家のイメージを実演者に押しつけるものではなく、実演者の能力や可能性を引きだし、彼らが思ってもいなかったような表現を作りあげる「共同作業」のことだ。
それはときに、演出家ですら想像しなかった表現を作りだすことすらある。
そこが醍醐味だ。

朗読の世界にはそのような演出家がとてもすくない。
私はながらく、作家・即興ピアニストとして朗読者たちと関わりつづけていて(35年以上)、オーディオブック製作も草分けのひとつといっていいアイ文庫を立ちあげた人間として、朗読演出については一定の自負がある。
それを伝えきりたい、朗読者の可能性をいっぱいまで引きだしたい、というニーズがある。
そのような機会を作ってくれる人が来てくれるのはうれしいのだ。

朗読者といっしょにいきいきした生命の表現を作ること、それに使える時間がもうすこしありそうだ。


7月28日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。身体表現あるいは音楽としての朗読を楽しみましょう。7月28(日)10時半から約2時間。