2017年10月31日火曜日

個人セッション(的)に長いお付き合いとなった人たち

私は専門のカウンセラーというわけではないので、そんなにたくさんの人を相手にしているわけではないけれど、共感的コミュニケーションやボイスコーチングを用いた個人セッションの依頼を、ちょくちょくうけたまわっている。

最初から個人セッションを依頼してくる方もいれば、はじめは共感カフェに参加してくれてそのあとに個人セッションも、という人もいる。
かなりシビアな問題を抱えている人もいれば、なんとなくもやもやしていて元気が出ない、というような人もいる。
気がついたらそういう方が何人もいて、必要に応じてセッションの申し込みをしてきてくれる。

もちろん、つながりが途切れてしまった人もたくさんいるけれど、いまだにつながっている人とは何年にもわたる長い付き合いになっていることが多い。
ありがたいことだ。
そこには私への信頼を感じられて、私もそれに正直に、誠実に向き合いたいという気持ちがある。

私の個人セッションは、もともと、ナレーターや声優のための音声表現スキルアップの個人レッスンとしてスタートしたものだ。
ただただ正しくきれいに伝えるだけのナレーションやアナウンスメントだけではなく、朗読やオーディオブックなどの個性を発揮して表現の幅を身につけたいとか、マイク収録における技術的な問題を解決したい、といったニーズに応えるものだった。

技術的に解決できることは問題ないけれど(すぐに解決できる)、なんらかの理由である種の心理的なブロックが関わっているようなとき、問題解決はひとすじ縄ではいかなくなる。
そういう場合、力を発揮するのが、共感的コミュニケーションを用いた共感セッションだ。

共感セッションは音声表現のスキルアップだけではなく、日常生活における個人的な問題や、仕事の人間関係など、さまざまな問題にもアプローチし、解決にいたったり、解決にいたる道すじを知ることができる。
そういう意味で、個人セッションはしだいに、音声表現のプロだけでなく、一般の人の発声、話し方、表現、人づきあい、人間関係、自分自身とのつながり、といった問題もあつかう方向に広がってきて、現在にいたっている。

とくに最近はかなりシビアな人間関係の問題をあつかうことが多くなっている。
仕事上の人間関係、家族の問題、パートナーとの関係など、うかつな人に相談できないような問題を、私には話していただける。
友人に聞いてもらってもいいのだろうが、彼らは共感的に聞くということができないことが多い。
ついつい自分の経験に引きつけて同情したり、アドバイスしたり、分析したり、断罪したり、といった反応になってしまうこともある。
せっかく勇気をふりしぼって話したのに、がっかりな結果に終わってしまうのは残念だ。

私の場合、解決にいたるかどうかは別として、すくなくとも共感的に話を聞き、本人がなにを大切にしているのか、どんなことが必要なのか、気づくお手伝いに専念するので、自分自身につながるお役には立てるだろう。
結果的に解決にいたることが多い。

私と長くつながってくれている人たちは、たぶん、私と話すことの目的が「解決策を得ること」ではなく(それもあるかもしれないが)、「自分自身につながり落ち着く」ことの助けになると思ってくれていて、その部分で頼りにしてくれているんだろうと思う。

ところで、私のなかにも「お金についての心理ブロック」があるらしく、それは過去に受けたなんらかの傷から来る痛みなのだろうと思うけれど、無意識で起こることなので自分ではなかなか気づきにくい。

個人セッションを受けてくれた何人かから、
「申し込みの方法がわからない」
「予約サイトにたどりつけない」
「支払いの方法がわかりにくい」
といった指摘を、このところ立てつづけに受けた。
心をあらためて心理ブロックに向きあい、きちんと処理してみようと思っている。

私のおこなっている個人セッションは、「セッション」と銘打たなくても、たまたま顔を合わせたときのちょっとした共感やワークなどでも喜んでくれる人がいて、自分でもだれかの役に立てることがうれしかったりする。
セッションも時間枠に縛られず、自由にやりたいと思っていて、必要ならば一定の時間じっくりやることもあれば、すぐにすんでしまうこともある。
一応、規定の時間と金額は決まっているが、あくまで「参考の基準」くらいにかんがえておいていただけるとありがたい。

個人セッションの申し込み窓口は、直接のフォームリンクがこちら

私のウェブサイトを開いていただくと、トップベージをすこしスクロールダウンして「レッスン/個人セッション」というブロックがあるので、その下のほうにも申し込みボタンがある。

お支払いは事後でかまわないのだが、定額で払いたい方はこちらのショップページから決済できる。

定額でなく、自由にドネーション(寄付)のような形で払いたい人は、「レッスン/個人セッション」のブロックの下の申し込みボタンの横に、ドネーション窓口があるので、そちらを利用してほしい。

YouTube:水城ゆうのボイスコーチング・朗読表現編

水城ゆうがおこなっている個人セッションのひとつ、ボイスコーチングの模様から、朗読表現のコーチングをおこなっている一部をご紹介します。
こんなことを、こんな雰囲気で、というごく一部ですが。

水城ゆうのボイスコーチングに興味がある方は、こちらからどうぞ。

映像はこちら

2017年10月29日日曜日

豊田で共感的コミュニケーションと語りレッスン


2017年10月28日、午後。
豊田市のとよた市民活動センターで、共感的コミュニケーションの勉強会の案内人をつとめてきた。
主催は〈ゆめぱレット〉という団体で、代表は語り人の小林さやかちゃん。
さやかちゃんを筆頭に、知的障害などの障害を持つ人やその家族、支援者などで作られた団体で、語りや音楽など表現活動をやっている。
私はさやかちゃんとはもう15年近い付き合いで、中学生のときからずっとサポートしている。
おかげでこちらも学びと成長と豊かなつながりの経験をさせてもらっている。

今回はこの人たちを中心に、お互いに大切にしあえる関係のなかで、安心し、いきいきと表現できる場を持続的に発展させていくための方法として、共感的コミュニケーションを学ぼうということで、私を呼んでいただいた。
ゆめぱレットの主催の勉強会は、これが2回めとなる。

参加者は10人くらい、関係者もいれれば15人くらいの人数での勉強会となった。
今回はとくに身近な人とのつながりを作ること、相手にもかならず切実なニーズがあると思いやることでつながりのきっかけを「自分が」作ること、そして自分自身といつもつながっていることの大切さなどについて、みんなでかんがえ、話し合うことができた。

そこそこの長丁場をみなさん最後まで集中して参加してくれたし、熱心な質問も飛びかって、ありがたかった。
終わってから、この勉強会を不定期ではあるが、また時期を見ながら開催していきたいという話になった。

夜はおなじ会場でゆめぱレットのみなさんの語りレッスン。
来月11月18日に豊田産業文化センターのホールで、小林さやかとゆめパレットのみなさんによる語りの会をおこなうことになっていて、私もピアノ演奏やトークで参加する。
それに出演する方のレッスンをおこなった。
この語りの会のテーマは「おかあさん」で、みなさんそれぞれ、おかあさんにまつわる話を朗読したり語ったり、歌ったりすることになっている。

最後にさやかちゃんのおかあさんの希依子さんと、コンサートの進行と演出内容についての打ち合わせ。
この内容をほぼそのまま、年末の知立演劇フェスティバルにも持っていって上演するというので、私はそちらもサポートすることになった。
うまい具合に、ちょうど移動予定がかみあっていたのだ。

知立演劇フェスは12月10日(日)。
豊田も知立も、もしご都合がつく方がいらしたら、ぜひ応援にきてください。
お待ちしてます。

2017年10月25日水曜日

公演「FLARE m3」@国立さくらホールが終わった

2017年10月20日。
国立の〈さくらホール〉にてダンスと朗読と音楽によるパフォーマンス公演「FLARE m3」を開催した。

オーストラリア在住の矢澤実穂さんが、日本の熱海で開催されるNVCの国際集中トレーニング合宿「IIT」に合わせて一時帰国する際、なにかいっしょにやりたいと声をかけてくれたことから、この公演の計画がスタートした。
IITでは、経済的な理由で参加できない人をなくすために、事務局が「セルフファンディング」という企画を立ちあげていて、収益の一部をそれに寄付しようという話にもなった。

そもそも実穂さんとは、3年前に清里で開催されたIIT2014年のイベント内イベント「ノータレントショー」で、突発的にパフォーマンスを挙行して、それがとっても楽しくインパクトがあった。
そのおなじメンバーである実穂(ダンス)、野々宮卯妙(朗読)、水城(ピアノ)の3人でまたやろう、という話になったのだった。

あまり時間的余裕もなかったので、リハーサルはなし、簡単な打ち合わせのみ事前にすこしおこなっただけという、ほぼぶっつけ本番の公演だったが、それでもおたがいにまったく不安がなかったのは3年前の「おたがいに信頼できる表現者である」という感触があったのと、おなじNVCでつながった者同士という安心に支えられていたからだろう。

ところで私はこの公演のために、朗読テキストをあらたに書きおろすことにした。
作品「きみは星々の声を聞いている」が完成したのは、公演の数日前。

公演当日、実穂さんはおなじ会場で、午後、コンタクトインプロヴィゼーションとNVCのワークショップをファシリテートしてから、夜の公演を迎えるというハードワーク。
小笠原春野さんと小見明子さんが手伝ってくれたほか、来場者も自主的にいろいろ手伝ってくれたりして、運営はスムーズに進んだ(ありがたや)。
おかげで私は公演のセッティングに集中できて、リソースの少ないない、そこそこおもしろいセッティングになったのではないかと思う。

ダンスと朗読の動線を作り、ピアノを動かし、観客の視覚・聴覚を動的に刺激するようなセッティングのなか、本番が夜7時スタート。
ピアノソロからはじまって、ダンスが出る、そして朗読が出る。
あとはいまこの瞬間の自分と共演者と、聴衆と公演空間との対話から、生まれてくるものを即興的につかみ、つないでいくという連続。
いつものフロー状態から、ゾーンへと侵入していく、空恐ろしいほどの密度の濃い時間感覚のステージへ。

楽しい、ということばを通りこして、ひやひやするほどのスリリングな表現体験の1時間強だった。
すこし前から自分が、これまでとはちがう表現の質に進んだような気がしていたのだが、この公演でそのことに確信が持てた。
自由さの奥には、さらなる自由さがあり、それは窮屈なほどの選択肢の限定された「これしかない」という厳しい自由さだということを、喜びをもって体験できている。
共演者と、サポートしてくれたみなさんに、心から感謝したい。

しばらくは自主公演の予定はないが、呼ばれればどこへでも行くので、まずは気軽に声をかけていただきたい。
いっしょに厳しく楽しみましょう。

公演「FLARE m3」記録映像の抜粋はこちら

2017年10月24日火曜日

草時間かわしまよう子さんの茅ヶ崎〈リベンデル〉合宿

2017年10月22日、記録的な大型で強力な台風が接近している風雨のなか、国立から車を飛ばして茅ヶ崎の〈リベンデル〉に行ってきた。
草時間のかわしまよう子さんがおこなう合宿に、半日だけ参加するためだ。

一泊二日のこの合宿は、雑草とたわむれたり利用することで自然と遊び、対話するかわしまよう子さんのライフスタイルを学び、自然とのコミュニケーションを楽しむためのもので、よう子さんの仕事に共鳴している上野洋子さんが世話人となって開催されたものだ。
今回、コミュニケーションについて「自然」とだけではなく、「ひと」とのコミュニケーションも扱いたいということで、私も呼んでいただいたのだった。
長年共感的コミュニケーションを学び、研究し、実践し、広める活動をつづけてきた身としては、とてもありがたいお声がけだ。

けっこうな土砂降りのなか、到着してみると、すでに参加のみなさんがそろっていて、全員女性!
私ひとり、おじさんというか、怪しいじじぃみたいなのがのこのこと登場して、さぞやみなさん驚いたことと思うが、そんなことは微塵も感じさせず、みなさんに歓迎されて、たちまちお尻が落ち着いた。

私は名前が「ゆう」とひらがな表記で仕事していることもあって、時々私のことを女性だと思いこんでいる人がおられる。
そして「なんだ、おじさんだったのか」と落胆されたり、警戒されることがある。
私にはいかんともしがたいことなのだが、残念な気持ちになる。
もちろんこの日はそんなことはまったくなく、なんだか仲良しの女友だちや娘たちに大事にされているおじいちゃんのような気持ちで、みなさんに囲まれてほっこりすごした。

会場のテーブルの上にはちいさな草花飾りがいくつかしつらえてあって、よく見ればそれもこの近所で摘んできた野草の花や実なのだった。
テーブルを囲んで自己紹介をひとまわりしたあと、ちょっとだけみなさんの日頃感じている人間関係やコミュニケーションの気がかりについて聞かせてもらう。

そのあと小降りになった雨のなか、庭へ出て、気になる野草を各自摘む。
私も摘んだ。
あとでそれはお団子のなかに練りこんだり、上に飾ったりして、お茶といっしょにいただいたのだった。

お茶のあとは、みんなで夕食作り。
これも野草や無農薬の野菜を使ったもので、しかし食べてみると奥深い味としっかりした食感で、大満足なものだった。
肉がないから物足りない、なんてことはまったくなかった。
そして野草が加わることで味わいの幅が生まれるのも知って、興味深かった。

夜は別棟の広い座敷のほうに移動して、共感的コミュニケーションのお話会。
外は嵐だというのに、雨戸を閉めきったここはまったく静かで、平和だった。
そういえば、この嵐のなか、みなさんキャンセルもなく集われたのにはびっくり。
私はいつ「中止になりました」という連絡が来てもおかしくないなと思っていたのだが。

お話会では、みなさんが日頃気になっている人間関係やコミュニケーションの問題について聞かせてもらい、さまざまな角度から「つながり」の可能性について検討してみた。
人はたいてい、だれかと対立したとき、その相手を自分の価値観からしか見ていないし、そのことでつながる可能性を閉ざしてしまっている。
しかし、相手には相手の価値観があるし、それはなんだろうと推測し近づいていくことで、つながりの可能性が生まれるのだ。
それは自分自身についてもいえることだ。

そんな話をしたりして、すこしはみなさんのお役に立てたのかなと思うけれど、なにより私自身がこのようにいきいきと楽しくすごしている姿を見てほしい、それは共感の力に信頼を持っているからだ、ということを感じてもらえたら一番うれしいと思っている。

お話会の最後によう子さんが絵本を一冊読んでくれた。
それはまさに「自己共感」「自己肯定」についての本で、この日のお話会の内容にあまりのぴったりだったのでびっくりしつつ、よう子さんの優しい朗読に癒されまくったのだった。

あらためて、お会いしたみなさん、ふたりのようこさんに感謝。
またお会いしましょう。

共感的コミュニケーションWS@とよた市民活動センター(10.28)
愛知県豊田市の市民活動団体〈ゆめぱレット〉の主催で、共感的コミュニケーション(NVC)のワークショップをとよた市民活動センターでおこないます。どなたもご参加いただけます。

2017年10月22日日曜日

YouTube:ピアノ演奏「いつも何度でも」@福井県立病院

2017年10月17日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの「秋のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像ですが、抜粋してお送りします。
ジブリ映画「千と千尋の神隠し」のテーマソングの「いつも何度でも」です。
作詞は覚和歌子、作曲は木村弓です。

映像はこちら

名古屋天白の古民家スペースでの初開催共感カフェ

2017年10月15日、日曜日。
名古屋市天白区にある水野生惠さんの古民家スペース〈アロマファン〉で、共感カフェを初めて開催した。
私が案内人をつとめる共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会は、おたがいの顔が見えて直接声が届きやすい、そしてお互いに聞きあえる距離を大切にしているので、参加人数が10人を超えないようにしているのだが、生惠さんのおかげで開催当日は満席となった。

参加してくれたのはお勤めの方、主婦、表現をやっている人、ボランティア活動をやっている方など、さまざまな背景のみなさんで、女性が多かったが、男性もおひとりいらした。
共感的コミュニケーションに初めて触れる方も多かったが、すでに何度か学びの場に参加したり、日常で試みている方もおられた。

最初にすこしだけ共感的コミュニケーションの考え方について触れたが、すぐに実例を用いた実践的な事例検証にはいっていった。
私の勉強会では、講義のように一方的に教えるということをなるべくやらないようにしている。
極力、実例を取りあげて、すぐにでも試してみることができる具体的な方法を検証したいと思っている。

今回も仕事の同僚との関係、親子関係、友人との関係などで起こるいらいらや心配、怒りを扱い、それを共感的にどのようにとらえ、自分につながり、相手のニーズを推測し、場合によっては相手にも共感しながら、自分と相手を大切にする関係を築いていく方法について、みんなで学んだりかんがえたり、練習したりしてみた。
みなさん、とても熱心に3時間という枠をがっつりと食いついてきてくれ、終わってからも多くの人が残って、さらに1時間以上も話を聞かせてもらうことができた。

勉強会に多くの方が来てくれたというそのことよりも、その場がみなさんの学びとつながりと安心を満たす空間になったことが、私には喜びだった。
最後にはみなさんから「来てよかった」という声を聞かせてもらえて、とてもうれしくなった。

こちらの〈アロマファン〉は、生惠さんが私の名古屋での拠点にしてもらっていいといってくれていて、来月も自己共感を用いた文章表現のワークショップを開催することになっている。
興味のある方は参加してみてください。
11月23日(木/勤労感謝の日)です。
詳細と申し込みはこちらから。

2017年10月19日木曜日

福井県立病院ボランティアコンサート5周年

ほぼ3か月おきのペースでおこなっている福井県立病院エントランスホールでのソロピアノ演奏によるボランティアコンサートが、先日10月17日の回でちょうど5周年だったことがわかった。
コンサートを終えて家に帰ってきてから、そろそろ5年くらい経つんじゃないかな、いつから始めたんだっけ、と記録を調べてみたら、2012年10月が初回だったのだ。
数えたら、10月17日で21回めだった。

毎回、午後1時半から約60分、ソロピアノ演奏をやっていて、曲目は日本の童謡や唱歌、スタンダードナンバー、よく知られたメロディなど、季節の曲が多い。
自分のオリジナル曲も演奏することもある。

もともとは自分の母が肺がんで手術・入院していた病院で、そのとき、私の高校の同級生が医師として勤務していることを知り、彼とちょっとお茶でも、というのがはじまりだった。
カフェで雑談しながら、エントランスロビーを見下ろし、
「あそこにグランドピアノがあるよね。あれって時々は使われるの?」
と訊いてみた。
すると、そこでは時々、ボランティアコンサートが開かれ、歌や器楽演奏などがおこなわれるということだった。
母がお世話になっていることもあって、私も演奏したい、というのが最初だった。

かなり大きな病院で、病床数は1,000床近くと聞いたことがある。
エントランスホールも広く、吹き抜けになっていて、かなり大きな空間だ。
そこにグランドピアノが置いてあり、椅子を数十個ならべてコンサートをやるようになっている。
病院の受付がある場所なので、オーディエンスは診察に来た人、入院患者、その付き添い、見舞いに来た人、通りがかりの人、そして受付業務をしている事務の方々。
毎回、どんな人が聴いてくれるかわからないし、そのつど顔ぶれも違えば、人数もちがう。

たまに地元のメディアが事前に情報を流してくれることもあって、そういうときはわざわざ聴きに来てくれる人もいるが、たいていは演奏前後に取材され、事後に記事が出ることが多い。

うれしいことに、ここ一、二年、かならず聴きに来てくれる方が何人か出てきた。
わざわざ病院に私のコンサートの日程を問い合わせて来てくれるのだ。
本当にありがたく、うれしいことだ。

そして、通りすがりに聴いてくれた人とも、終わってからことばを交わすことがあって、それも楽しい。
先日は終わってから、5、6歳くらいの女の子がやってきて、
「ピアノ弾いてくれてありがとう」
とおじぎをしてくれた。
これはうれしかったな。
ピアノは習っていないけれど、自分で弾いて練習していて、好きなのだという。

このコンサートがあるおかげで、私のピアノ演奏も変化しているように思う。
私は即興ピアノが専門なのだが、ただ好きなように自由に弾くだけではなく、聴いてくれる人といっしょの風景のなかを散歩するような、ある種のつながりを感じながら演奏するのにも楽しみを感じるようになってきている。

この日のセットリストはつぎのとおり。

 赤とんぼ
 旅愁
 故郷の空
 紅葉
 いつも何度でも
 もののけ姫
 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
 ムーン・リバー
 蛍の光
 ふるさと

この記録映像のうち、何曲かをYouTubeにupしてあります。

 蛍の光
 赤とんぼ

明日・10月20日(金)夜には、国立〈さくらホール〉で、ダンスの矢澤実穂、朗読の野々宮卯妙と共演することになっている。
自分のピアノがどのように変化しているのか、明日はどのような音が出てくるのか、楽しみでわくわくしてしかたがない。

ダンスと朗読と音楽の公演「FLARE m3」@国立さくらホール(10.20)
「踊るように読み、語るように弾き、奏でるように舞う」

YouTube:ピアノ演奏「赤とんぼ」@福井県立病院

2017年10月17日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの「秋のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像ですが、抜粋してお送りします。
冒頭で演奏した「赤とんぼ」です。
作詞は三木露風、作曲は山田耕筰です。

映像はこちら

2017年10月18日水曜日

YouTube:ピアノ演奏「蛍の光」@福井県立病院

2017年10月17日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの、水城ゆうのピアノ演奏によるボランティアコンサーを初めておこなったのは、2012年10月でした。
ちょうど5年めを迎えたことになります。

今回の「秋のコンサート」の模様から、iPhoneで撮影した記録映像ですが、抜粋してお送りします。
最後から2曲前に演奏した「蛍の光」です。
原曲はスコットランド民謡で、作詞は稲垣千頴です。

映像はこちら

2017年10月15日日曜日

私は忙しいのか?

このところ、会う人、会う人ごとに、
「水城さん、最近、忙しいですね」
といわれる。
ご心配ありがたいが、私自身はそれほど忙しいという感じはない。
たしかにイベントがつづいていて、なにもないのんびりすごせる日はほとんどないが、気ぜわしい感じはしていない。

イベントについて知ってもらったり、できれば参加してもらいたいので、告知はせっせとするし、また気づいたことがあればメルマガやブログの記事として書きのこしたりしている。
その作業はだいたい午前中に集中しておこなっている。

午前中にイベントがあることもあるが、だいたいは午後か夜だ。
オンラインのイベントもあるが、これは自宅にいながらにしておこなえる。

午後から夜にかけては、イベントがなければ仕事をするかといえば、ほとんどしない。
午後は頭の働きがにぶってくるので、映画を鑑賞したり、絵を描いたり、編み物をしたり、酒を飲んでのんびりすごす。
そしてなるべく早めに寝てしまう。

睡眠は十分に取る。
朝は早いが、夜も早いので、睡眠が足りないということはまずない。
昼間に少しでもねむけを感じたときは、さっと5分か10分のみじかい昼寝をする。
これは非常に効果的で、10分の昼寝は1時間の夜寝に匹敵するくらいの(自社比)効果を感じる。
車の運転をすることが多いが、ちょっとでも眠くなったらすぐにパーキングに入れて、ショートナップを取る。

そしてもうひとつ、重要なことがある。
私がおこなっているイベントはどれもすべて、自分自身のなんらかのニーズにつながっているもので、おこなっている最中も自分のニーズにつながりつづけている。
参加してくれる人にも、学びやつながりを大切にしている人たちという信頼があるので、私も安心して、そして集中してものごとを進めていくことができる。
そのためにも、イベントは定員を少人数に設定してあることが多く、また実際にたくさんの人が押しかけるようなことはない。
お互いの顔が十分に見える距離や人数で、いまこの瞬間のいきいきさを大切にしながら進めていくことを心がけていく。
だから、あまり疲れないし、毎日「忙しい」と感じることもない。

こういったことに役に立っているのは、私の場合、共感的コミュニケーション(NVC)による自己共感、韓氏意拳や瞑想による質の高いマインドフルネス、身の回りの雑事をすっきりさせる「マインドフル手帳術」、心身の健康調整に効果的な音読療法、といったことだ。
これらをみなさんにも分かち合いたいと思っている。

2017年10月14日土曜日

イベントいろいろつづく週間みなさん来てね

ありがたいことに、名古屋天白の〈アロマファン〉で初開催する共感カフェが、定員に達して、いったん受け付けをストップさせていただいた。
明日の朝、車で国立を出て名古屋に向かい、午後に共感カフェを行なう。
夜に北陸の実家に戻る。

月曜は実家で音読カフェ、火曜日は福井県立病院でピアノコンサート。
木曜日の午後に実家を出て、これも初開催となる岐阜の各務原での共感カフェを行なってから、深夜に東京国立に戻ってくる、というツアー。

今日14日(土)は一日、「IITをぶっとばせ!」の追加イベントを国立春野亭でおこなう。
共感的コミュニケーションやマインドフルネス、表現や自己共感について知りたい人、練習したい人は、午前9時から午後9時までのあいだならどの時間でも自由においでいただきい。
参加費はドネーション(寄付)制となっている。

このフリーデーのなかに決まっている枠がふたつあって、それはつぎのとおり。

 水城(表現/朗読)ゼミ 10:30~12:30
 共感サロン 14:00~17:00

こちらにも自由に出てもらってかまわない。

来週木曜日に国立にもどってきた翌日、20日(金)は、夜に国立〈さくらホール〉にて公演「FLARE m3」をおこなう。
駅から徒歩1分という大変気楽な場所でやるので、ご都合つく方はおいでいただきたい。
ダンスと朗読とピアノの即興演奏による、共感的表現のコンサートだ。
お席に余裕はたっぷりあるので、どんどんいらしていただきたい。

22日(日)は草時間のかわしまよう子さんが主催する「THE草料理合宿@茅ヶ崎リベンデル」というイベントに、共感的コミュニケーションのゲスト 講師として招かれていて、これも楽しみなのだ。

2017年10月11日水曜日

毎週土曜朝にオンラインで開催します、マインドフル共感練習会

私・水城の著書(Kindle)で『マインドフル練習帳』というものがあります。
それぞれ1月から3月、4月から6月、7月から9月、10月から12月と、毎日の練習問題とちょっとした気づきのエッセイが全4巻にまとめられています。
これはブログで毎日、1年間欠かさず連載したものを、編集してまとめたものです。
読んでいただけている方には好評なのです。

(それにしても、毎日よくこんなにいろいろな練習問題を思いついて書きのこしたもんだな、と自分でも感心しています)

この『練習帳』を使って、毎週1回、ごくみじかい時間・30分限定でマインドフル共感練習会をやってみることにしました。
毎週土曜日の早朝・7時半から30分間限定、オンラインでおこないます。

ところで、土曜といえばだれもがのんびりと寝ていたいものですね。
しかし、うっかり寝すぎて、起きたらもう夕方、せっかくの休みに有効に時間を使えなかった、ガビーン! というような経験はありませんか。
それならいっそのこと、土曜日もそこそこの時間にがんばって起きて、マインドフルに一日をすごす、そのきっかけとしてこの練習会に参加してみる、というのはいかがでしょう?
(もし眠くなったら、あとでちょっとだけ昼寝すればいいですよね。私はいつもそうしています)

練習会は共感的コミュニケーションをベースに開きます。
「こうしなければならない/こうすべきだ」「こうしてはならない」といったことは一切ありません。
自分のニーズにしたがって、自発的に楽しみながら参加してください。
必要なら水城が参加の皆さんに共感しながら進行します。

◎日時 2017年10月14(土)/21(土)
    いずれも午前7時半から30分

◎参加方法 オンライン(zoomというシステムを使います)
    参加申し込みをされた方に詳細をお知らせします。

◎参加費 1回1,000円

※参加申し込みはこちら
※Kindle本『マインドフル練習帳』はこちら

2017年10月9日月曜日

国立フリー合宿「IITをぶっとばせ!」明日は最終日

10月7日(土)から国立春野亭でフリー合宿をおこなっている。
水城(表現/朗読)ゼミ、共感サロン、マインドフル練習会、テキストライティングWSなど、いくつかの勉強会を連続しておこなった。
詳しくは書けないけれど、予想外で劇的な展開があって、大きな学びと気づきの時間がつづいた。
スリリングな場をホールドできたことに、個人的にはお祝い。

逆に、予想外のことが起こって、場をホールドできなかったことに残念さを感じる時間もあった。
せっかく遠方から楽しみに参加してくれた方に対し、未熟さゆえに場をホールドできなかったことを心から申し訳なく思う。

その方からは、あとで、帰宅報告とおわびのメールが届き、ちょっとほっとしたけれど、なにかケアしたい気持ちが依然として強くある。

さまざまなことがつぎつぎと起こったり、起こらなかったりした、しかしいまここの自分自身にずっとつながることを意識できていた数日だったように感じる。
そして明日はその最終日。

明日は平日だが、都合のつく方は国立春野亭までぶらりとお越しいただくもよし、オンラインで好きな時間に参加されるもよし、また夜は仕事帰りに立ち寄るもよし、いずれも気軽にご参加いただきたい。

最終日・10日のイベント予定はつぎのとおり。

 午前 水城(表現/朗読)ゼミ
 午後 水城共感サロン
 夜 音楽瞑想とマインドフル練習会

詳細と参加申し込みはこちらをご覧ください。

2017年10月7日土曜日

国立春野亭フリー合宿4日間その初日

今日から国立春野亭でフリー合宿をおこなう。
「フリー合宿」とは私の造語だが、意味するところは、いつ来て、いつ帰ってもよし、ずっといてもよし、泊まるもよし、ということだ。
イベントを何枠か、いちおう予定していて、それに参加するもよし、ながめているもよし、参加せずに横で寝ていてもよし、という意味のフリー。
参加費もドネーション(寄付)制のフリー。

今日・10月7日(土)はその初日だが、午前9時くらいからいつでもおいでいただいてかまわない。
遠方の方のために、オンラインのミーティングルームを用意して、9時から開いておく予定。

今日・7日のイベント予定はつぎのとおり。

 午前 水城(表現/朗読)ゼミ(10:30~12:30)
 午後 親密な関係の共感勉強会(14:00~17:00)
 夜 水城共感サロン(19:00~21:00)
 その後、フリータイム(共感飲み会?)

いちおう枠と時間は決めてあるが、あくまでゆるい枠で、枠を超えて、あるいは枠の合間になにかやるかもしれないし、やらないかもしれない。

明日・8日は小袖講師でNVCの仲間であり、マインドフルネスの実践者である吉房泰子さんが、助っ人ファシリテーターに来てくれることになっている。
8日以降の予定など詳細については、こちらをご覧ください(参加申し込みも)。

2017年10月5日木曜日

IITをぶっとばせ!(←冗談ですよ)

いよいよ明日・10月6日から熱海でNVCの国際集中トレーニング合宿「IIT」がスタートする。
9泊10日というボリュームの合宿で、私は清里でおこなわれた2013年のIITに参加したが、今回の熱海には参加しない。
とはいえ、私の居所である国立春野亭は事務局機能が集中していて、数日前からオーガナイザーチームや海外からのトレーナーが出入りしたり、宿泊していて、かなりあわただしくなっている。

私は参加しないが、人や荷物の移動、事前の宿泊サポートなどをおこなっていて、それなりに貢献している。

そんななか、これからはじまるという熱量と期待のなかにいるスタッフや参加者には聞こえにくいかもしれない声が、私のところには聞こえてくる。
それはやはり、
「参加したいのにできない」
という人たちの声だ。
経済的、距離的、時間的、その他物理的・心理的障壁のせいで参加したいのにできない、という人がたくさんいる。
実際に参加できるのは100人くらいだが、参加したいのにできない人はたぶん1,000人以上いる。
いや、実数はわからないが、参加できる人よりできない人のほうが多いことはまちがいない。
そんな人たちの声を、私は聞きたいと思いはじめている。

(そして参加できない人こそNVCを必要としている人たちなのではないか、という個人的な思いもある)

そこで、IITとはべつに、なにか私にできることをやってみようと計画している。
10月7日(土)、8日(日)、9日(月/体育の日)の3日間の連休に10日(火)の平日も加えて、国立の春野亭でいつでもどこからでも、あるいはオンラインでも参加できる、ゆるい共感合宿を開催しようか、というものだ。

・参加者は全日程に参加する必要はない。都合のいい日、時間のみ参加してよい。宿泊するも自由、しないも自由。
・参加費はドネーション(寄付制)。宿泊費も基準額はあるが基本的に寄付制。
・全日程のうち、いくつか時間を区切って、私が提供できるワーク、勉強会、あるいはだれかが提供したいプログラムを、あらかじめ組んでおく。参加者は興味のおもむくまま、好きなプログラムに参加するもよし、参加しないもよし。
・遠隔地からもオンラインで参加できる。

ざっくりこんな感じ。
私が提供できるのは、共感的コミュニケーションの勉強会、朗読やテキストライティング、即興演奏など、表現のワーク、マインドフルネスや瞑想の練習会(音楽瞑想を含む)、といったところだろうか。

興味がある方はこちらをご覧ください。
参加申し込みやお問い合わせもこちらから。

映画:超高速!参勤交代

ほとんど日本映画を観ない。
理由はたぶんいくつかあって、それらが複雑にからまって潜在意識のなかで暗い翳を作っているんだけど、まだ言語化できない。
映像そのものも、日本映画特有のぼんやりした暗さのようなものがあって、それは私の潜在意識の翳がなせるわざかもしれないが、なんとなく避けて通るような気分がいまでもある。
実際、とても評判がいいのでがんばって観てみたけれど、結局がっかりしたという経験があって、それも私のなかで暗さを作っている。

この「超高速!参勤交代」も、だれかが「すっげーおもしろかった」といっていて、気になっていたけれど、なんとなく片目でにらみながら避けていた。
また「シン・ゴジラ」みたいなことにならなければいいなと思いながら。

ひょんなことで観はじめたんだけど、出だしでもうちょっといやになった。
画面が暗い。
すかっと抜けていない。
日本の田舎の風景って、もっとくっきりと「抜けた」感じがあるでしょう、それがなんで画面に反映されていないんだろう。
まさかフィルムじゃないんだから、いくらでもカラー調整はできるはずなのに。

田舎侍が集団でぶらぶら歩いていく光景が、冒頭のほうに出てくる。
それを見てまたいやになった。
江戸時代の侍がこんな歩き方をしていたはずがない。
こんなふうに手足がぶらぶらと胴体から離れていたら、重い腰のものを運んで歩けやしない。

いくらでもケチをつけたくなるのをがまんして、しばらく観ていると、慣れたのか、あるいは演出が変わったのか、だんだん違和感がなくなってきた。
百姓ら庶民の立ち居振る舞いは、昔の日本人らしくて、私が子どものころに見なれていた年寄りや大人の歩き方、身ごなし、仕事ぶりらしく見える。
とくに身分の高い者にへりくだった態度で接する姿は、現代人の身ごなしとはかけ離れている。

こんなことが気になるのは、私が武術をやっていて、いつも「せめて100年前の身体が見えるように稽古する」ことを心がけているからだろう。
つまり、現代人の身がばらばらで足元が見えていない身体観では、実際に「使えない」からだ。

結局のところ、そういう観察をしながらの映画鑑賞も、楽しくないわけではなかった。
ストーリーは奇抜で無理なところも多いが、自分たちの信念のために必死にがんばっている男どもの話は悪くなかったし、飯盛女役の深田恭子も美しかったし。

映画の最後に、いわきのみんなが愛し、献上するたくあん大根の味について、「土を守り、土をはぐくんできた」その結果なんだというせりふがあるけれど、そこはインパクトがあった。
いま放射能で汚染されて帰還が許されていない、本来豊穣であったはずの大地のことを見据えたオマージュであることは、まちがいない。
ただ一点、そのメッセージを伝えるためだけに作った映画なのではないか、と思えたほどだった。

2017年10月3日火曜日

iPadの液晶保護フィルムなるものを使ってみた

私のiPadは現在、Pro10.5インチというタイプのものを使っている。
iPadは初代からはじまって、mini、そしてPro13インチというデカパッドも使ってみたが、いまはこれに落ちついている。
メインマシンは MacBook Pro 15インチで、なにをするにもそっちを使っているが、iPadも重宝している。
なにしろヘビーユーザーだ。

iPadはネットや電子書籍、とくに固定レイアウトの雑誌などを読むのにちょうどいい。
あと、音楽アプリもインストールしていて、作曲や演奏、楽譜表示などにも使う。
料理のときにクックパッドを開いて、目の前のカウンターに置いておくのも便利だ。
動画再生もちょうどいいサイズで、MacBookでなにか作業しながら動画を流しておく、なんてこともよくやる。

もうひとつ、私の趣味である「お絵かき」にちょうどいい。
お絵かきについてはあらためて詳しく書いてみたいが、今日はお絵かきが劇的に快適になった品物を紹介したい。

私はタブレットにしろスマホにしろ、ケースに入れたり、なにかカバーをつけたりするのが嫌いで、これまでほとんど「ナマ」で使ってきたのだが、だれかがブログで書いているのを読んでちょっと使ってみる気になった。
貼るとペンでの書き心地が、まるで紙に書いているのとそっくりな感触になる保護シールがある、というのだ。

ClearView(クリアビュー)というブランドから出ている「液晶保護フィルム ペーパーライクなペン滑り!」というものだ。

さっそく取り寄せて、貼ってみた。
なるほど、ちょっとザラっとした手触りで、表面が紙っぽくなる。
しかし、反応が遅くなるとかそういう感じはまったくない。
手触りは変わるけれど、指でなぞる分にはこれまでと変わりなく使える。

アップルペンシルでお絵かきしてみた。
ほんとだ、まるで紙に書いているような感触だ。
ざらつきがもたらす抵抗感が、リアルに紙にペンで書いているような錯覚をもたらす。
スケッチブックほど荒い感じはなく、コピー用紙ほどつるっとした感じでもない。
大学ノートくらいに書いている感じだろうか。

なにも貼っていなかったときには、ペン先と液晶面があたる感触がつるつるとしていたり、かちかちと硬くあたって不快なときがあったのだが、これなら快適だ。
それに、液晶面を保護するのにも役立つだろうし。

ペンを使ってiPadなどタブレットでノートをとったり、お絵かきする人には、おすすめのアイテムだ。

2017年10月2日月曜日

長編小説『大きな川と雪のものがたり』連載再開しました

長らく連載執筆を中断していた水城ゆうの長編小説『大きな川と雪のものがたり』ですが、連載を再開したいと思います。
「どんな話だったかもう覚えてないよ」
「初めて読むので途中からだとついてけない」
という方のために、どなたも自由に「これまでのお話」を読めるように、連載再開前の全話収録したものを電子書籍としてダウンロードできるようにしました。

データ形式はePubです。
ダウンロード後はePubが読めるアプリを使ってください。
代表的なアプリでは「iBooks」「Kindle」「楽天kobo」「Google Play Books」「Kinoppy」「honto」などがあります。

『大きな川と雪のものがたり(前)』のダウンロードはこちらから。

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  大きな川と雪のものがたり 第42回

 ぼくが大人になってから船の操縦免許を取ったのは、その体験があったからかもしれない。
「その体験」というのは、小学三年のときにカミくんの船にとうとう乗せてもらったことだ。船というより、家といったほうがいいかもしれないけれど、それはたしかに川に浮かんでいて、ちゃんと動きもする船だったからだ。

   *

 私が持っているのは、小型船舶の免許で、その免許のなかでは最高の一級という種類だ。それには「特殊」という免許資格区分もふくまれている。そして「特定」という資格も付与されている。
 特定というのは、自動車免許でいえば「二種」にあたるもので、ようするにお客さんを乗せられる、というものだ。
 この免許を持っているのは、私にはちょっとした自慢だ。もっとも、これを使う機会はめったにないけれど。

   *

 自動車免許はそれより早く、学生になってすぐに取った。夏休みを利用して、故郷《くに》の街はずれにある教習所で取ったのだ。
 そうそう、教習所は、ぼくらが豚小屋をこえてトンネルのほうまで探検した、ツネちゃんが怪我をしたあたりのちょうど川の反対側の、大きな車道《くるまみち》の脇にあった。

   *

 それは三年の夏休みのことだった。
 夏休みは終わりかけていて、ぼくはまだ残っている宿題と、まだ遊びたりない気分で、ちょっとせかされるように毎日を送っていた。もちろん宿題より遊びのほうが優先で、宿題はたくさん残っていたけれど、遊ぶことがたくさんあって、宿題なんかやってられないという感じだった。
 本もたくさん読みたかったし、虫をつかまえに行きたかったし、水槽や虫かごの観察はいそがしかったし、みんなと鬼ごっこやかくれんぼや山遊びをしたかったし、そうそう、最高に楽しかったのは川遊びだった。

   *

 学校にプールが作られるという計画があって、子どもが川で泳ぐのは基本的に禁止されていた。でも、学校のプールはまだ完成していなかったし、川で泳ぐ子はほかにもたくさんいたので、大人たちも黙認していたのだ。というより、子どもが遊んでも危なくないように、川の浅瀬に石をならべ、安全に泳いだりめだかをつかまえたり遊べるようにしてくれていた。そしてだれかがかならずそのあたりで見張っていた。
 実際、そのころは、川や用水路に流されて溺れる子どもがいて、何年かに一度はどこかの子どもが亡くなったりした。大人たちが長い竹竿を持ってため池をさらっている姿が、古い記憶の底のほうにぼんやりと残っている。

2017年10月1日日曜日

毎月恒例・共感ウィーク10月のお知らせ

共感的コミュニケーション(NVC)関連のイベントがつづきます。
まとめて学んだり、練習したり、あるいは触れてみることのできるチャンスがつづくので、ご都合つく方はどこかでお会いできるとうれしいです。

私のベースである国立・春野亭もしくはオンラインで開催する「共感サロン」を、10月は3回開催します。
共感的コミュニケーション(NVC)を体系的に学ぶ、というよりは、みなさんの生活や仕事のなかで起こる実際的な対立や気がかりについて具体的に取りあげ、共感的に聴くことで、実践的に身につけてもらおうという場です。
ただ共感的に聴いてもらいたいことがある方にもおすすめです。
実際に「共感される」という体験をたくさんすることが、自分でも共感できるようになるポイントになります。
10月は2(月)11時/6(金)19時半/27(金)19時半、いずれも約2時間です。

10月3日(火)夜は、川崎市・武蔵小杉在住の高橋喜宣さんが自宅で主催してくれている共感的コミュニケーションの勉強会「こすぎの大学共感サロン」です。
個人宅での開催ですが、どなたも参加歓迎です。

10月4日(水)夜は、三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉で共感的コミュニケーションの勉強会をおこないます。
朗読と音楽のミニライブ付きです。

10月12日(木)の午後は、東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さん宅での共感カフェです。
個人宅での開催ですが、どなたも参加歓迎です。

10月13日(金)の昼は、毎月恒例の国立古本カフェ〈門〉でのもけごはん付き共感カフェです。
おいしいお昼ごはんと〈門〉のご主人・和田さんによる絶品のお茶をいただきながら、共感的コミュニケーションについて学んだり、お互いの話を深く聴きあう練習をします。

つぎに、名古屋と岐阜での共感カフェのご案内です。
どちらも初開催となります。
まずは名古屋・天白区の古民家スペース〈アロマファン〉での共感カフェを10月15日(日)の午後に開催します。
水野生惠さんが世話人です。

つづいて10月19日(木)夜には岐阜・各務原の〈カフェ花寧香(はなねこ)〉で、猫ヘンタイ・猫好きの白狼澪さんが主催して共感カフェを開催します。
とてもかわいくて居心地のいいカフェで、オリジナルハーブティをいただきながら共感的コミュニケーション(NVC)について学びあいます。

以上、たくさん紹介しましたが、どこかでお会いできるとうれしいです。

最後に、共感の勉強会ではありませんが、共感的コミュニケーションと深いかかわりのあるイベントをイチオシさせてください。
NVCを通してつながっている私たち3人による、ダンスと朗読と音楽の公演「FLARE m3」を、10月20日(金)夜、国立のさくらホールでおこないます。
キャッチコピーが「踊るように読み、語るように弾き、奏でるように舞う」
ダンスの矢澤実穂、朗読の野々宮卯妙(mari)、ピアノの水城ゆうの3者による公演です。
ぜひともお越しください!

加速度的に成長していく表現者を見る喜び

昨日は現代朗読ゼミあらため水城(表現)ゼミだった。
参加者はひとり。
数か月前から参加してくれているゆきこさん。

ゼミでは参加者がひとりだろうが、複数だろうが、基本的におなじことをやる。
もっとも、ひとりでやれることと、複数人でやれることは、形式は違うのだが、内容はおなじだ。
いずれも、「表現するための身体」としての自分自身を観察し、なにが起こっているのか、どんなことが生まれようとしているのか、繊細に感受し、それを妨げない練習をする。

ちょっと抽象的な話だが、なにかを表現しようとする人のなかで起こっていることの話をしたい。
具体例として、ここでは「朗読」という表現行為を例にとってみる。

だれかがなにかを朗読しようとするとき、その人のなかでは、たえず、
「こう読まねばならない」
「間違えてはいけない」
「はきはきと、はっきりした声で読まねばならない」
「イントネーションを間違えないように」
「意味の区切りを明確に」
「滑舌は明瞭に」
などといった、たぶんだれかから指導されたり、みずから思いこんだり、後天的に身につけてきたなにかこれが正しいというような「外部的基準」に、自分の表現をあてはめようとしてしまう。
無意識に。

この無意識の働きから逃れることはけっこう大変なのだが、これらがその人本来ののびやかさや、絶えずいきいきと変化しつづけている生命現象をあらわし伝えることを、著しく阻害している。
この働きに気づき、それらをやめていけるかどうか、という試みにはいっていくところが、まず私がおこなっている表現の稽古のスタート地点となる。
いや、スタート地点より手前の作業かもしれない。

スタート地点というのは、それらに気づき、ある程度「外部的基準」を手放せるようになったところだろう。

外部的基準を手放すためには、別の基準を自分で見つけるのが手っ取り早い。
私が提案する「別の基準」とは、「内的基準」のことで、つまり自分自身に目を向けることだ。
実際にワークをやってみるとわかるが、自分自身はたえず変化し、動き、流れつづけている。
また内的・外的にかかわらずさまざまな刺激(情報入力)にたいして反応しようとしている。
それらに目を向け、自分が動こうとしたがっていることを妨げず、方向性を保持してあげること。

表現ゼミではそんなことを一貫してやっていて、残念ながら最初はちょっとわかりづらい。
にもかかわらず、ゼミ生たちはゆきこさんにかぎらず粘り強くついてきてくれていて、やっているうちにすこしずつ見えてくるものがあるようだ。
とはいえ、それはかすかな兆候であって、手応えのような強いものは得にくい。
むしろ、手応えを感じたときは、それは間違いである可能性が高い。
自分が自然に、のびのびと、いきいきとやれているとき、実は手応えというものはほとんどないのだ。
自然にやれていることだから。

昨日はゼミ生のゆきこさんをテスト収録してみた。
彼女はハンセン病をテーマにして中国人作家・林志明が書いた短編集『天使在人間』(訳・鄧晶音)を、いずれオーディオブックにして配信したいという目標を持っている。
人に聞いていただくだけのクオリティのものを目指しているわけだが、そのクオリティは「上手」とか「正しい」ではなく、いかに「正直にゆきこさんらしいものであるかどうか」という基準だ。

身体(生命活動)に注目すること、自分の身体が受け取っている外的刺激とその反応を拒否し邪魔しないこと、その方向性をゆきこさんはまだ頼りないながらもきちんとつかまえていて、ここ数か月のあいだにみるみる表現のクオリティとオリジナリティが進化していく姿に、私自身がびっくりしているし、昨日は本当にうれしかった。

昨日は「わずかな思いやりに、心を打たれて涙する」という短編を読み、私もピアノの即興演奏で参加してみた。
ごく短い抜粋だが、記録映像を紹介したい。
ここからどこまで「ゆきこさん自身のナマの生命活動」としての表現クオリティを高めていけるのか、これからが楽しみだ。

映像はこちら