ジョエルは野尻湖の国際村に親から受け継いだ別荘を持っていて、夏のあいだはボランティアでヨットを教えたり、別荘の手入れをすることに時間を費やしている。
誘ってくれたヨットレースはディンギー(小型の一人乗りか二人乗りのヨット)レースで、野尻湖を24周する耐久レースだ。
時間制限があって、24時間以内に24周できない場合は、そこで終わりになる。
その場合はたくさん周回した艇が勝ち、というルールだ。
レースは午前10時スタートだったが、ジョエルは別件の用事があって午後からしか参加できないというので、私も午後になって合流した。
午後3時半くらいに行ってみると、ジョエルはもうひとりのおじさんクルーと周回チェックの桟橋マークを通過しながら、もう一周したらクルーを交代してもらうといって、遠ざかっていった。
風はそこそこあって、1周するのに40分くらいしかかからない感じだった。
約40分後にジョエル艇(二人乗りのシカーラ)がもどってきて、いったん桟橋に着ける。
私は実は、右肘の調子が悪く、とてもヨットレースに出られる状態じゃないという判断を前日にしていて、装備はなにも持ってきていなかった。
この日の午前中に長野市のモンベルに行って、カヤック用のウェットシューズとグローブだけ買い、レインジャケットは知り合いに借りていた。
クルーの楠田さんと私が交代、ジョエルはそのままスキッパーで残り、いよいよ出発。
ディンギーレースに出るのは何年ぶりだろう。
ひょっとして数十年ぶりかもしれない。
知り合いは、私がひさしぶりにヨットに乗るというと、
「まだ乗れるの? 忘れたりしてない?」
など、懐疑的だったが、私にはまったく不安はなかった。
乗れるに決まってる。
そしてそのとおり、乗りこんだ瞬間にイメージどおり、かつてヨットに乗っていた感覚がバシッとよみがえってきて、身体はほぼ無意識に動きはじめていた。
ジブシートを引きこむ感覚。
ヒールをつぶすための体重移動。
クローズド、アビーム、ランニング、それぞれの走り方における感覚とジブセールの調整。
風を読む。
波を見る。
マークを確認する。
周辺の船や漂流物を見る。
変化する山並を観察する。
ハルが水を切る音の変化を聴く。
ジョエルの目配せに応じる。
時間を読む。
まるでいまあらためて自分の身体に生命が吹きこまれたような感覚がやってきて、全身が喜んでいる。
乗せてもらってよかった。
風がしだいに強まってきて、ジョエルも楽しそうだ。
先行艇を追いつめる。
後続艇を引きはなす。
かけひきが楽しい。
2周、3周するうち、風はさらに強まって、暗くなりはじめたころには雨が降りはじめた。
最初はしとしとだったのが、しだいに雨脚が強まり、18時をまわるころには豪雨、そして雷雨になった。
ほかの艇が桟橋にもどり、艇庫のほかに帰っていくようすが沖から確認できる。
ほとんど真っ暗ななか、我々も桟橋にもどった。
さすがにレースは中止となった。
しかし、十分に堪能させてもらった。
忘れていたものがまざまざと生きかえってくるのを体験させてもらった。
ありがとう、ジョエル。
また来年もかならず来るからね。