2014年4月22日、火曜日夜。
渋谷〈サラヴァ東京〉にて「ののみずしゅん with 現代朗読群読」ライブを開催した。
「ののみずしゅん」とは、朗読の野々宮卯妙、作・演出・音楽演奏の水城ゆう、ヴォーカルの酒井俊の三人のことで、すでにこの三人で昨年、3回のライブをおこなってきている。
中野〈Sweet Rain〉、下北沢〈レディ・ジェーン〉、そして〈サラヴァ東京〉で、今回のサラヴァは二度めの開催となる。
ただし、今回は現代朗読の群読隊5人に加わってもらった。
最初は群読隊はオープニングアクト(つまり前座)として参加してもらうことになっていた。
ところが、その話を聞いた俊さんから、「ぜひいっしょにやりたい」と申し入れをいただいて、こちらも喜んでいっしょにやらせていただくことにしたのだ。
19時開場、20時開演。
定時を10分ほど押して、ライブがスタート。
まず私がピアノに付き(サラヴァは状態のいいグランドピアノがあってありがたい)、演奏スタート。
いつも来客からびっくりされることだが、私の演奏は完全即興で、鍵盤に指をのせる瞬間までなにを演奏するのか、自分でもわからない。
自分の内側を外側(ライブハウスの環境、お客さん、共演者、その他)とつなげ、そこから「いまこの瞬間」というまだなにも定められていない場所へと足を踏みだしてみる。
すると自分でも予測しないことが次々と起こる。
そんなふうにして今回もはじまった。
そして俊さんも完全即興のヴォイス的ヴォーカル。
野々宮もテキストこと決まっているものの、どう読むか、どう動くか、というようなことはなにも決まっていない。
音楽や共演者とのコミュニケーションのなかで動き、読んでいく。
唯一あらかじめリハーサルしたのは、群読の読みと動き。
今回は現代朗読のゼミ生であるKAT、山田みぞれ、宮本菜穂子、高崎梓、川崎満里菜の5人が参加してくれて、数回の稽古を積んできた。
稽古のときもっとも重視したのは、段取りを合わせるとか言葉がずれないようにする、といったことではなく、「体認」である。
どれだけ深く自分の身体に注目し、集中して感受しつづけることができるか。
これは現代朗読という表現がもっとも大事にしていることでもある。
私の演奏がはじまると、やがて群読隊がゆっくりとあらわれて、ステージにバラバラと立つ。
しかもお客に背中を向けて。
いまにも朗読がはじまると思いきや、あらわれた野々宮がひとりで朗読をはじめる。
そこに俊さんがからむ。
野々宮が読むのは、私が今回のために書きおろしたテキスト「夜と朝をこえて」だ。
私と俊さんと野々宮の三人が即興ではじめたパフォーマンスだが、テキストのある部分に群読が挿入される構成だった。
群読「繭世界」がスタートし、5人の読みと野々宮の読みが複雑に交差しながら、全員がステージ上を動きまわる。
群読が終わったら、ふたたび三人にもどり、第一部が終了。
ここで15分ほどの休憩をいただいた。
第二部は9時ちょっとすぎにスタート。
私、野々宮、俊さんで「夜と朝をこえて」の後半部分をはじめ、その終わりのほうで群読隊が客席うしろから朗読しながら登場。
そのままステージにあがってきて、ふたたび「繭世界」を、しかし動きは最初とは別のものでおこなう。
「繭世界」が終わると、群読隊はステージ奥の壁際に座りこんで、「糸が切れる」。
最後の部分はしだいに沈黙に向かっていき、終わりは完全な沈黙と暗転。
この部分で時間をたっぷり使うので、テキスト分量の加減がステージ構成するときいつも苦労する。
昨日も思った以上に時間がかかり、終わったのはちょうど10時だった。
長かったが、しかしこれほど集中が持続したライブは私も初めてといっていいほどで、お客さんの受け取り方はそれぞれだろうと思うが、私自身と出演者は大満足だった。
満足というのは、自分自身の表現クオリティがこれまでの自分のなかでもっとも高い位置に達せたのではないかという実感がある、という意味での満足だ。
俊さんは秋にまた帰国されるということで、このような機会が持てればうれしい。
それとは別に、このテキストでのライブを5月4日の法然院でおこなうことになっている。
俊さんはいないが、琵琶奏者の片山旭星さんが加わってくれる。
またまったくちがうものになるかもしれない。
この期間に京都に旅行される方、あるいは京都近辺にお住まいの方は、ぜひお越しください。
詳細と参加申し込みは
こちらから。