2013年2月26日火曜日

メーター振り切れそう

さきほど、GQPowerの集まりが羽根木の家であって、私は参加してないのだが、参加者のひとりの浅輪くんから、「痩せました?」
と訊かれた。
痩せてない。体重はほぼ変化なし。
ただし、自分でも鏡を見て、痩せたというより「やつれた」感じがした。
無理もない。

このところ、現代朗読ゼミ、基礎講座、音楽塾、テキスト表現ゼミ、音読療法個人セッション、いきいき音読ケア、ネットライブ、共感的コミュニケーションの勉強会、沈黙の朗読「初恋」公演、2級ボイスセラピスト講座、音声表現スキルアップ個人セッションとつづいて、今日は丸一日オーディオブックリーダー養成講座とオーディオブックの収録だった。
これらすべて、カリキュラムなしの即興的進行で、あたまと身体と感受性をフル動員しての仕事、消耗しないわけがない。
それらと並行して毎月の支払いの心配ものしかかってくる。
ストレスフルな毎日を、共感的コミュニケーションのおかげでなんとか乗りきっている。

共感的コミュニケーション(共コミ)といえば、私も参加しているトランジション世田谷・茶沢会というグループに「共感的コミュニケーション部会」を(勝手に)作ることになって、部会を開催することになった。
コミュニティ・ビルディングというのだが、こういう組織運営においても共コミは非常に力を発揮する。
私のような人間が現代朗読協会と音読療法協会というふたつの組織をオーガナイズできているのも、共コミのスキルが多少なりともあるからだ。
もちろん組織運営だけでなく、日常における人間関係においても強力なスキルとなる。

こんな目の回るような毎日だが、かつて職業小説家をやっていたときに比べると「自分を生かしている」という感覚が格段に大きい。
職業小説家をやっていたときは、とくに後半、パソコン通信の小説道場のようなコミュニティに関わるようになったときには、まさに自分自身をすりへらし、自分を殺し、消費しつくされていくような感覚があった。
おそらく回りからは楽しげにやっているように見えていたに違いないと思うのだが。
あのときの犠牲と傷から立ちなおるのにこの15年が私には必要だった。

いま(経済的には苦しいが)なんとかやれているのは、ゼミ生のみんなやボイスセラピストたちをはじめ、私を大切にしてくれる人がたくさんいるからだ。
この人たちには本当に感謝してもしたりない。
今日も収録が終わって、消耗しきって、つぎの公演をどうする? もう時間がないぞ、チラシを刷ってる暇はないぞ、という問題に直面して、げろきょ仲間の唐ちゃんと玻瑠さんが助け舟を出していっしょにかんがえてくれたことがどれだけうれしかったことか。
ありがとう。

あれれ?
いそがしいという愚痴を書きはじめたつもりだったのに、最後は感謝の気持ちにたどりついてしまった。
かんがえてみれば、自分の能力をフルに使いきってだれかのお役に立てている毎日、こういう時間をすごしているという人生も悪くはない。
悪くないどころか、とてもいいじゃない。
完全に燃焼しつくしてこの世とお別れできることが、私の最終的な望みだ。

写真見るとやつれているでしょ?
そうでもない?